デイリーディボーション 1月16日(木)

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デイリーディボーション 1月16日(木)

2020年1月16日(木)
テサロニケ人への手紙 第一  3:12-13 12また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。13また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。
【ポイント】 ①主の再臨に備える まず初めに、ちょっと長いですがマタイ7章のイエス様のことばを見てみましょう。「16あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。17同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。18良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。19良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。20こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。21わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです。22その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』23しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
「良い実」とは何でしょうか。多くの人は「個人的な聖さ(善い行い)」だと思っていることでしょう。確かにそれは間違いありません。しかし、真の意味での「良い実」とは、イエス様との愛の関係、隣人との愛の関係の中で実を結ぶものであることを忘れてはなりません。イエス様のぶどうの木のたとえ(ヨハネ15章)、イエス様の大いなる戒め(マタイ22章)を読めば明らかですね。さらに、パウロがガラテヤ5章で教えている「御霊の実」を見れば、その実は、個人的な行動だけでなく、隣人との関係の中で結ぶ実であることが明らかです。
つまり、人がどのように宗教熱心であったとしても、人がどれほど聖書や神学に精通していようが、人がどれほど素晴らしい説教ができようが、人がどれほど多くの人を救いに導こうが、人がどれほど多くの賜物を持っていようが、その人が神様との愛の関係、隣人との愛の関係において良い実を結んでいなければ、神様の目には「不従順」「不誠実」「偽善者」と見られてしまうということなのです。そして、来るべき時に、私たちは私たちの結んでいる実について主から問われる日が来るのです。
それでは、主とお会いするときのために、私たちは何をすればよいのでしょうか。それは、簡単です。自分と神様の間、自分と家族、自分と主にある兄弟姉妹の間に愛の実が結ぶことに必死に取り組むことです。あなたは自分の教会で、自分の家庭で愛の実が結ぶことに必死に取り組んでいますか。これ以外のことにどれほど一生懸命取り組んでも、主の目には空しく映る可能性があることを知りましょう。
上のマタイ7章は「偽預言者」に対する警告です。しかし、私たちクリスチャンは一人の例外もなく、主の御心の実現のために召された、主の働き人です。字が読めない人が大半であった時代とは違い、ほとんどの人が神様の啓示である「聖書」を読むことができる時代に生きているクリスチャンです。主の御心を読み、理解できているのに、主の御心に不従順であれば、偽預言者と大差ない者となってしまうのではないでしょうか。主の再臨または、主と顔と顔を合わせて会うときに備えましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道


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