デイリーディボーション 1月16日(火)

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デイリーディボーション 1月16日(火)

2018年1月16日(火)

【通読】
ローマ人への手紙 3:29-31
29それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。30神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。31それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。

【ポイント】
①信仰は律法を確立する
「旧約の神」「新約の神」というような言い方をするクリスチャンの方がいますが、そのようなイメージは間違いです。神様は常に変わることなく、過去も現在も未来も常に同じ神様なのです。もし、神様がのイメージが違って見えるとすれば、それはそれぞれの時代の人々が知り得た神様についての姿に違いがあったのです。神様が変わったのではなく、人間の神様の真の姿についての理解、知識が変わったのです。よく、自分の尊敬する恩師などの印象について「最初はただ怖いだけの人かと思ったけど、実はとても愛情にあふれ、真剣に接してくれる人でした。」というようなことを聞くことがあります。この場合も、おそらくその恩師の人間性が変わったのではなく、関わりが深まるについて恩師の本当の姿を理解できるようになっただけなのです。

ですから、律法についても、その理解を間違えてはなりません。イエス様はマタイの福音書5章で「17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。18まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」と教えられたのです。

またパウロはガラテヤ人への手紙3章で律法の役割、意味についてこのように教えています。「21とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。22しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。23信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。25しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。」

イエス様の時代のパリサイ人たちが陥っていた律法による裁き合いの体質、「律法主義」は悪いものです。しかし、律法自体は決して悪いものではなく、人々を信仰へと向かわせる大切なものだったのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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