デイリーディボーション 1月22日(火)

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デイリーディボーション 1月22日(火)

2019年1月22日(火)
コリント人への手紙 第2 12:6-10 6たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。7また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。8このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
【ポイント】 ①パウロの正直さが彼の純粋さの証し パウロが真にキリストの使徒である証拠の一つは、彼の正直さです。昨日の箇所で、パウロは自分の使徒職の証明のために、あえて自分の特別な経験について誇りました。しかし、パウロは自分の経験を誇っているだけでないことが今日の箇所から分かります。
パウロは自分の特別な体験を誇ったことは決して自慢ではなく、単に真実(事実)を述べたに過ぎないと説明しつつ、しかしこれ以上の特別な経験などについて分かち合うことはしないと語っています。その理由は「人が私を過大に評価するといけない」(6節)からです。更に7節では「高ぶることのないように」ということばを2回も使っています。ここに、パウロの正直さを見ることができるのです。
パウロが自分の特別な経験を分かち合わないのは、それを聞いた人がパウロに心酔したり、出来事を誇張して広めたりされたくないからなのです。パウロは、人々から人気得たり、褒められたりすることは自分を傲慢にさせる「誘惑」であると述べているのです。つまり、パウロは自分の心の中に、それは決して本意ではないが、人々からの称賛を受けたい、苦難の日々から解放され、VIPとして扱われたいという欲求があることを正直に告白しているのです。しかも、祈っても取り去られない「とげ」が神様から与えられているという話しから、パウロの「高ぶり」への欲求はかなり強いものであったことが分かるのです。パウロは、普通だったら隠しておきたいと思うことを、正直に告白しているのです。
この正直さこそが、彼の使徒である証しなのであり、かれのことばが真実なものである証しなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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