デイリーディボーション 1月24日(金)

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デイリーディボーション 1月24日(金)

2020年1月24日(金)
テサロニケ人への手紙 第一  4:14-15 14私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。15私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
【ポイント】 ①「キリストの再臨」についての誤解 その2 終末や再臨の理解(解釈)の違いは現代においても存在します。聖書の記述を飛び越えた勝手な解釈と思われる事柄が教えられている場合も少なからずあるようです。しかし、たとえ、聖書のことばの単語や文法を丁寧に検証するという作業をしたとしても、理解の相違は避けることができないと思います。
そのような状況の中で、私たちが忘れてはならないことがあります。それは、終末や再臨についての理解の枝葉の部分に様々な違いがあったとしても、キリストの再臨(終末)は、キリストを信じる私たちにとっては、喜びの時であるということです。この世の終わりに至るプロセスのは様々な苦しみがあったとしても、私たちクリスチャンは、最終的には永遠の祝福の中に入る約束が与えられていることを忘れてはならないのです。
実は、終末(再臨)やそれに伴う患難の有無にかかわらず、私たちの人生そのものが患難の連続です。私たちは、肉体が与えられた瞬間から、その肉体は病気、怪我、肉体の死の苦しみの対象となり、地上に生まれた瞬間から、自然災害の危険にさらされ、人の間に産み落とされた時から、他者との衝突、争い、憎しみ合いという現実の中に生きることが決まっているのです。天の御国から見れば、私たち人間は常に「患難」の中に生きているのです。平和ボケしている私たちには実感しにくいかもしれませんが、地上に生きるということは、その患難の中で常に死を覚悟しながら生きることなのです。
この覚悟ができないない人は終末について大きな不安を覚え、それがどのように起こるのかを詮索したくなるのです。戦争や災害のうわさを聞くと、この世の終わりではないかと慌てふためいてしまうのです。
最後の最後までイエス様を信じることしかないのです。イエス様の再臨の前に死のうが、イエス様の再臨に遭遇しようが、私たちに求められていることは一つしかないのです。それは、何が起きても心を騒がさず、イエス様の約束を信じ、イエス様を信頼することなのです。
ヨハネ14:1-4 1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。2わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。4わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
ライフチャーチ 大谷 信道


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