デイリーディボーション 1月28日(火)

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デイリーディボーション 1月28日(火)

2020年1月28日(火)
テサロニケ人への手紙 第一  5:4-5 4しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。5あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
【ポイント】 ①再臨と肉体の死に備える 日曜日の礼拝説教でも学びましたが、「再臨」についての最重ポイントは、その瞬間からキリストを信じる私たちは主と共に全き平安のなかで永遠を過ごすことになるということです。「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサ4:17)
さらに、パウロのピリピ1章23節のことばからイエス様の再臨よりも先に肉体の死を迎えた場合も、その結末は同じであることが分かります。「23私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。」
「再臨」「肉体の死」の両者の共通点はそれだけではありません。どちらも、その日を特定することも、前後させることもできないということです。多くの健康な人は自分が今日、明日死ぬかもしれないとは考えません。しかし、冷静に考えれば年齢や健康状態と関係なく、不意の事故などで命を落とす可能性は常にあるわけです。
ですから、私たちクリスチャンは「再臨」と「肉体の死」を常に意識しながら、その瞬間まで地上において、主の前での最善を尽くしてくことが求められているのです。私たちの仕事は、その時の特定ではなく、常にその瞬間を覚悟し、準備を続け、主のお迎えを心待ちにすることなのです。そうすれば、主が突然来られても、肉体の死が突然訪れても、その瞬間を強盗に襲われる恐怖を覚えてではなく、愛する主からの召しとして喜びの内に迎えることができるのです。主に忠実に生きる者にとっては、主は盗人としてでなく、救い主として来られるのです。 例えば、マタイ24-25章を見ても、イエス様が再臨の準備について繰り返し教えられていたことが分かるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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