デイリーディボーション 1月6日(月)

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デイリーディボーション 1月6日(月)

2020年1月6日(月)
テサロニケ人への手紙 第一 2:15-16 15ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。16彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。
【ポイント】 ①神様の怒り ここでの「ユダヤ人」とは、ユダヤ民族全員を指しているのではないと思われます。神様の真理を知りながら、私利私欲のためにユダヤ教を利用し、自分たちの欲望を満たす際に邪魔となるイエス様、イエス様の弟子たちを迫害しているユダヤ人宗教指導者たちを指していると思われます。神様の怒りの原因は「ユダヤ人であること」ではなく「真理に背いていること」なのです。それが「いつも自分の罪を満たしています」という意味なのです。
パウロもイエス様を迫害するユダヤ人の一人でしたが、パウロは1テモテ1章13節で「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」と告白しています。ですから、ユダヤ人宗教指導者の罪は、真理を知りながら(どこかで気づきながら)クリスチャンを迫害したり、伝道の邪魔をすることなのです。
このポイントはユダヤ人宗教指導者だけでなく、すべてのキリスト教の教職者、すべての宗教の指導者にも向けられるはずです。昨日の礼拝でもお話ししましたが、神の名を語って人を導く立場にある者は、真理でない事柄を、真理でないと知りながら教えているとすれば、神様の大きな怒りの対象となることを覚える必要があります。キリスト教の牧師や宣教師であっても、人の歓心を買うために、イエス様の福音に何かを付け加えたり、何かを引いたりすること、聖書に記されていない事柄をあたかも真理かのように語ることは、神様と人を欺く行為であり、神様の前に大きな罪を犯すことになることを知らなくてはなりません。
残念ながら、キリスト教書店に行けば、明らかに聖書の内容から逸脱した内容が含まれる「キリスト書籍」をたくさん見つけることできます。中には悪意なく、誰かから教えられた内容をそのまま書いている人もいることでしょう。しかし、そうではないケースも少なくないと考えています。例えば、カトリック教会の幼児洗礼もマリアの特別な位置づけも、人々の人間的なニーズ(亡くなった子どもの魂への心配、母性(女性的なやさしさ)を求める心)に応えるために考え出されたものと言われています。私たちクリスチャンは、その人々のニーズがいかに深刻なものであったとしても、多くの人が安心感を得ることができることがらであっても、イエス様の福音の真理に何かを付け足したり、引いたりしてはならないのです。
テサロニケ人への手紙 第一 で 2: 4 「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」
ライフチャーチ 大谷 信道


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