デイリーディボーション 1月8日(月)

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デイリーディボーション 1月8日(月)

2018年1月8日(月)

【通読】
ローマ人への手紙 2:25-3:2
25もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。26もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。27また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。28外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。29かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。1では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。2それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

【ポイント】
①本当のユダヤ人とは?
クリスチャンの中にはユダヤ人に対して一種独特の「憧れ」を持っている人いるようです。恐らく「ユダヤ人は神様に選ばれ、律法を守って生きる素晴らしい民族」というようなイメージがあるのかもしれません。しかし、イエス様、そしてパウロのことばをきちんと聞いていれば、そのようなイメージは全くの勘違いであることが分かるはずです。

パウロは本当の意味での「ユダヤ人」、「主の民」とは、民族、宗教儀式とは関係ないことを明らかにしています。真の神様が大切にするのは、民族、儀式などという表面的な問題ではなく、一人ひとりの神様に対する「愛」なのです。神様にとって意味があるのは「愛の関係」のみであって、民族、宗教儀式などは最重要点ではないのです。

②御子を愛する者が本当のユダヤ人
ですから、神様の究極的な啓示である、つまりご自身の本質である「愛」を余すところ無く示されたイエス・キリストを受け入れ、愛さない者は神様の啓示(愛)を拒絶する者であり、主の民となることはないのです。ですから、民族としてのユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、イエス・キリストを愛する者は、神の民、神のこどもとして受け入れられ、そこには何の区別、差別はないのです。

③律法を完全に守れれば、本当のユダヤ人になれるのか?
なれません。もちろん、「神様の前で100%
正しく生きたい」という思いを持っている人は沢山いることでしょう。しかし、神様の前に正直に生きている人ほど、自分の努力で神様の前で100%正しい者になることは絶対に不可能であることに気がつくはずなのです。まさに、これがイエス様の弟子たち、使徒パウロが行き着いた結論なのです。そして、誰でも自分自身の罪深さを正直に見つめることができれば、同じ結論に達することができるはずです。厳しい言い方をすれば自分が救いようのない罪人であるという自覚、自分には救い主が必要であるという確信に至らない人は、自分をごまかし、自分自身と真剣に向き合うことができない、いい加減な生き方しかできない人なのです。(この点については、これから更に深く学びます。)

ライフチャーチ
大谷信道


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