デイリーディボーション 1月8日(水)

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デイリーディボーション 1月8日(水)

2020年1月8日(水)
テサロニケ人への手紙 第一 2:19-20 19私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。20あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。
【ポイント】 ①パウロの細やかな配慮に倣う パウロはなかなか本題に入りません。手紙を読み進めれば分かりますが、テロニケ教会の問題は「イエス・キリストの再臨についての誤解」でした。しかし、パウロは本題に入る前に、自身はテサロニケ教会のメンバーの誠実な歩みについて大きな喜びと神様への感謝を覚えていることを丁寧語っています。手紙を受け取るテサロニケ教会のメンバーがパウロに対して不必要な反発や反感を覚えないための配慮であったのでしょう。昨日の17-18節を見ても、テサロニケ教会の中から「外部の人間が手紙でごちゃごちゃ言うな!話があるんだったら、こっちに来て話せ!」などという文句が出る可能性があることをパウロが強く感じていたことを察することができます。今日の個所をみると、パウロはいよいよ「再臨についての正しい理解」という本題に入っていくように見えますが、次の3章でもこれまでの経緯について説明を続けます。パウロのテサロニケ教会に対する細やかな配慮を見ることができるのです。
このパウロの配慮は、言うまでもなく彼のテサロニケ教会のメンバーに対する愛、キリストに対する愛の実践です。相手の問題について直言することは、勇気さえあれば簡単なことです。反対に、相手が心を頑なにしないように配慮することは、時間と忍耐を必要とする、ある意味、面倒臭い仕事です。この面倒くさい仕事を前向きに行うためには、何が神様を喜ばせることができる愛の態度なのかを考える必要があります。同時に、神様がご自身が、いかに長い時間と大きな忍耐をもって自分自身を導いてくださったのかを思い出すことも大切です。この点に気づくと、相手に対する様々な配慮は面倒くさい仕事ではなく、楽しく、やりがいのある仕事へと変わるはずです。
この視点は、家庭、教会、職場、学校での人間関係に適用することができます。私たちは、主にある愛と赦しが実践されている家庭、教会を建て上げるという使命が与えられています。パウロに見ることができる細やかな配慮は、究極的には自分のためでも、相手のためでもありません。今日の個所でパウロが語っている通り「私たちの主イエスが再び来られるとき」まで、主に忠実な僕として、主に喜ばれる者となるためです。あなたの配慮は相手から気づかれなかったり、当たり前の態度だと思われるかもしれません。しかし、主は私たちの前向きな愛の実践を、ご自分に対する愛として受け取り、喜んでおられるのです。ここに、私たちの真の喜びがあるのです。そして、この歩みこそが主の再臨への備えでもあるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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