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2017年10月11日(水)
【通読】
マタイの福音書 21:33-41
33もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。34さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。35すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。36そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。37しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、息子を遣わした。38すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』39そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。40この場合、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」41彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
【ポイント】
①たとえの意味
このたとえの意味を整理してみましょう。言うまでもなく「主人」は天の父ですね。「農夫」はユダヤ人、「しもべ」は旧約聖書の預言者たち、「別の農夫」は異邦人です。そして「息子」はイエス様です。意味がわからなかった人は、もう一度読み直してみましょう。
②神様の目から見たユダヤ人の姿を知る
このたとえ話からイエス様の目からみたユダヤ人(特に宗教指導者たち)の姿を見ることができます。表面的には信仰熱心に見えますが、真剣なのは自分たちが作り上げた宗教システム、神殿の維持であったり、そこから得ていた金銭的な利益であって、イエス様は彼らの神様への純粋な愛を見出すことが出来なかったことが、このたとえ話から良く分かります。
③さばきについて知る
41節にはこのようにあります。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」イエス様はマタイ16章27節でこのように教えられています。「27人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」今日の箇所のように、悪意をもって神様が送られた預言者たち、そして御子を迫害したり、殺したりする者には、それに相応しいさばきがくだされるということです。
大変恐ろしい話ですが、神様のさばきは常に正しく、公平であるという事を忘れてはなりません。詩篇19篇にはこのようにあります。「
9主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。」イエス様も、神様に反抗する者にはそれに応じたさばきを行われると教えられている一方で、マタイ10章でこのようにも教えられています。「41預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。42わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」
ライフチャーチ
大谷信道