デイリーディボーション 10月11日(金)

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デイリーディボーション 10月11日(金)

2019年10月11日(金)
ピリピ人への手紙  3:1 1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。
【ポイント】 ①喜ぶか否かは自分で決めていること 実際の生活の中で「喜びなさい」という命令を聞くことはあまりありません。もしあるとしたら、その命令を下している人物は大変傲慢で、偉そうな人でしょう。なぜなら、何を喜ぶか否かは人から強要されるものではないからです。しかし、パウロは彼の傲慢さから「喜びなさい」という命令をピリピ教会に与えているわけではないことは明らかです。パウロの命令の真意は何なのでしょうか。
その答えは、先の段落にあります。それは、私たちは何を喜ぶか、何を喜ばないかを自分で決めることができるという事実です。イエス様の愛、恵を知り、罪の赦しと永遠のいのちの約束を信じた私たちは、イエス様に導かれる新しい歩みを喜びの中で受け入れることを決意しました。確かに、日々の生活の中には、予想しなかった困難や苦難に遭遇することが多くあります。パウロ達の時代には、クリスチャンに対する迫害もありました。しかし、パウロはそのような苦難の中にあっても、イエス様の愛ゆえに、喜ぶことができることを知ったのです。ですから、パウロはピリピのクリスチャンたち、そしてすべての時代のクリスチャンたちに「喜びなさい」という命令を与えられているのです。命令というよりも、「あなたはいかなる場合にも、主にあって喜ぶことを選択できるのです!」と励ましを与えているのです。
最後に、ローマ人の手紙8章のパウロの証しに耳を傾けてみましょう。 35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。36「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。37しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ライフチャーチ 大谷信道


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