デイリーディボーション 10月12日(火)

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デイリーディボーション 10月12日(火)

2021年10月12日(火)
マタイの福音書 11:7-10 7この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。8でなかったら、何を見に行ったのですか。柔らかい着物を着た人ですか。柔らかい着物を着た人なら王の宮殿にいます。9でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。10この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。
【ポイント】 ①イエスは何者か? ヨハネは何者か? 11章14節に書かれている結論を先に言うと、イエス様はバプテスマのヨハネはマラキ書に預言されている「きたるべきエリヤ」であることを明らかにされました。その箇所を見てみましょう。マラキ書の4章5-6節です。「5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」ちなみに、マラキは旧約聖書最後の預言者であり、この個所は旧約聖書の一番最後の2節です。人々は、バプテスマのヨハネを預言者だと考えていましたが、イエス様は彼を単なる預言者ではなく「きたるべきエリヤ」であり、その使命はメシア(つまりご自身)の到来のための準備であると説明されたのです。
このマラキ書を念頭に置きながら、バプテスマのヨハネの言動、イエス様の言動を見れば、この二人がマラキ書の預言を成就していることが明らかですし、この二人が何者であるのかもはっきりしますね。
自分がメシアであること公言することは、誰にでもできることです。また、二人の人間が画策をして、一人がメシア、一人がエリヤの再来を装うことも可能かもしれません。しかし、ここで重要なポイントは、バプテスマのヨハネは、自分が「きたるべきエリヤ」である自覚を持っていないことです。つまり、このヨハネの無自覚(無知)は、彼らが相談の上で旧約聖書の預言の成就を装う意図を持ち得なかった証拠でもあるのです。
さらに、バプテスマのヨハネとイエス様のような人物が同時代に偶然に現れる確率は極めて低いと思われます。それも、イエス様が間違いなく、旧約聖書に約束されたメシアであるという客観的な証拠になるわけです。
今日のヨハネ(その弟子たち)とイエス様のやり取りからは、そのようなことも分かるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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