デイリーディボーション 10月14日(水)

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デイリーディボーション 10月14日(水)

2020年10月14日(水)
ヤコブの手紙 1:16-18 16愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。17すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。18父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
【ポイント】 ①だまされてはならない! トランプ大統領が、誰に遠慮することもなく「メリークリスマス!」と言えるような国にしたいというようなことを発言し、多くの保守的な福音主義クリスチャンが歓迎しているというような話を聞きます。この話の真偽は横に置いておくとしますが、この話の前提が根本的に間違っていることについて説明したいと思います。
私は、もし私たちが本当の意味で保守的で聖書だけを大切にする福音主義クリスチャンであれば、現代の多くの教会で共有されている「クリスマス」、それに付随する伝統行事は、全く聖書的ではないという結論に達するはずであると信じています。つまり、「クリスチャンはクリスマスを祝うべき」という考え方自体が間違いであり、多くのクリスチャンがこの間違いを宣伝する人にだまされているということなのです。例えば、聖書を読んだことも、キリスト教的な文化について全く予備知識がない人に、新約聖書を通読してもらったとします。その後に、「イエス・キリストの誕生日は明記されていますか?」「弟子たちがイエスの誕生日を祝っている記述がありますか?」「イエスが自分の誕生日を祝うように命令している箇所がありますか?」という質問をしたら、どのような答えが返ってくると思いますか? キリスト教についての予備知識や先入観がない人は何の迷いもなくいなく、すべて「ノー!」と答えることでしょう。
と言うことは、多くのクリスチャンは、そこに人を騙す意図がなかったとしても、聖書に書かれていないことが、聖書的であるかのように教えられているということなのです。しかも、その内容は、先に述べたように誰でも自分で聖書を一度でも読めば明らかなわけですから、これまでクリスマスが聖書的な事柄であるかのように教えてきた牧師、クリスチャンの責任は大きいのです。
私たちクリスチャンが、隣人をつまづかせないために、不必要な敵意や反感を生み出さないために、あえて「メリークリスマス」という言葉を使わなかったとしても、それは聖書に反することでも、聖書的な信仰に妥協することでもないのです。長い目で、友人をキリストに導きたいのであれば、隣人愛の一環として、忍耐と配慮をもってこの世で生活することこそ、本当に聖書的な歩みなのではないでしょうか。「聖書的」「福音的」という言葉(プロパガンダ)にだまされてはなりません。そこで教えられていることが、本当に聖書的で福音的なのかを、実際に聖書に照らし確認する責任があることを忘れてはなりません。
ライフチャーチ 大谷信道


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