デイリーディボーション 10月19日(土)

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デイリーディボーション 10月19日(土)

2019年10月19 日(土)
ピリピ人への手紙  3:13-16 13兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。15ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。16それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
【ポイント】 ①ゴールを明確にする これまでのピリピ人への手紙(もしくは全体)を読んで、今日の箇所でパウロが行っている「目標(ゴール)」とは何だと理解していますか。この点が明確になっていなければ、パウロのメッセージが全く伝わっていないこと、パウロの手紙が無駄であったことになってしまいます。
確かに、究極的なゴールは3章20節にあるように「20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」キリストの再臨の際に、キリストを愛し、キリストのみことばに忠実に従ったゆえに受ける「栄冠(慰め、祝福)」であることは明らかです。
しかし、私たちは天の御国で栄冠を受ける喜びの「前味」を地上で体験することができます。それは、礼拝で繰り返し確認している「主にある一致」です。2章1-2節を見てみましょう。「1こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、2私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」私たちが地上の教会で主にある一致を体験するときに、御国での祝福の一部を味わうことができるのです。これこそが、イエス・キリストが地上の教会に対して持っておられる計画なのです。
何度も分かち合っていますが、私の個人的な印象としては、日本、韓国、アメリカを問わず、牧師や宣教師でさえも、このパウロが繰り返し教えている聖書的な「教会観」が希薄な人が大変多いのです。これは、忌々しき事態であることを知らなくてはなりません。自国ファースト、自分ファーストなどの個人主義的な価値観がクリスチャンにも入り込んでしまっているのです。礼拝説教を自分の神学研究、持論の発表の場にしてしまう牧師、教会を社会活動の基地にしてしまう牧師、教会の人数的な成長という自己実現に熱心になってしまう牧師、個人伝道には熱心でも、教会形成にはコミットしない宣教師。私たち現代の教会は、決して意図的に間違った方向に進んでいるのではありません。残念ながら、互いに愛し合い、受け入れ合い、赦しあい、主にある一致のために奮闘するというパウロが教えている教会の姿、そこから来る喜びを体験したことがないのでしょう。
しかし、それは言い訳にはなりません。なぜなら、イエス様のみことば、パウロなどの手紙を読めば、そこには神様の求められている教会の姿がはっきりと啓示されているからです。
ライフチャーチ 大谷信道


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