デイリーディボーション 10月19日(水)

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デイリーディボーション 10月19日(水)

2022年10月19日(水)
ローマ人への手紙 5章1-2節 1ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。2またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
【ポイント】 ①義と認められた「平和」「喜び」を日々味わっていますか? 今日の個所は一読するだけだと、難しく感じるかもしれません、実際、この個所を神学的に難しく説明しようと思えば、いくらでもできることでしょう。しかし、パウロはここで神学的な議論をしようとしているのでしょうか。絶対にそうではないと私は考えます。パウロは、心の平安、喜びを味わっており、その平安や喜びがどこから来ているのかを一人でも多くの人に知ってほしいと思っているのでしょう。
パウロが味わっている平安や喜びは1節の「信仰によって義と認められた」こと、2節の「恵みの信仰に導き入れられた」ことだと分かります。それでは、具体的にそれはどのようなことなのでしょうか。罪が赦される約束を得たことでしょうか、罪の報酬である永遠の死から救われたことでしょうか。永遠のいのちが与えられたことでしょうか。天国に行けることでしょうか。そうではありません。それらは、信仰によって義と認められた人々に与えられている祝福であることには間違いありません。しかし、パウロの本当の喜びは「神との平和をもっている」ことという部分を見逃してはなりません。一番分かりやすく表現するならば、「神様との愛の関係の中にいること」となるでしょう。パウロの喜びの根幹は神様との愛の関係なのです。先に挙げた、イエス・キリストを信じる者に与えられている祝福の約束は、ご利益ではありません。別の言い方をすれば、それらの祝福の約束は、神様との個人的な愛の関係が築かれていない人には、成就しない約束なのです。神様との愛の関係を築いている人に与えられる当然の結果と言っても良いかもしれません。
イエス・キリストの愛と恵みの福音は、人が義とされるため、天国に行くための、永遠のいのちを得るためのノウハウ(方法)ではありません。「信仰によって義とみとめられた私たちは」という箇所を読むときに、私たちは「神様との個人的な愛の関係を結んだ私たちが」と理解してみましょう。そうすると、パウロのことばは難しい理屈ではなく、神様の愛のメッセージとして心に響くものとなるでしょう。パウロが読者と共有したかったのは教義ではなく、神様との個人的な愛の関係の中に生きるときに味わう平安、喜びなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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