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2020年10月21日(水)
ヤコブの手紙 1:26-27 26自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。27父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。
【ポイント】 ①口は禍の元 「口は禍の元」ということわざは、人類が普遍的に持っている問題を的確に表していますね。政治家の問題発言が頻繁に問題になりますね。自分が心の中で思っている事を口に出してしまうというケースが多いように感じます。ですから、後に謝罪をしたり撤回をしたりしても、それらのことばは「本心」には聞こえず、聞いている人の心にも響かないのです。つまり、口にしてしまったことが、取り返しのつかない大問題に発展する可能性があるということです。
決して、他人事ではありませんね。ですから、私たちも自分のことばには気を付けなければならないのです。ヤコブのことばから、二つの方法を学びましょう。一つ目は「自分の下にくつわをかける」ことです。常に、自分のことばが相手を活かすこと、励ますことになるのか、反対に相手を傷つけたり、落ち込ませたりするのかを考え、不適切な言葉を口から出さないように、自分の舌を制御するということです。
一番目は「対処療法」ですね。これでは問題の根本的な解決にはなりません。なぜなら、一番の問題は心の中で相手を傷つけたり、悲しませたりすることを考えていることだからです。つまり、口に出すことを我慢するだけでなく、心に悪い考えがあることに気づき、その心の闇を神様の前で認め、変えられるように求めることです。
残念ながら、この世でも、教会でも一番目までしか取り組んでいない人が多いのです。つまり「本音」と「たてまえ」を上手に使分けるスキルを見つけている人は多いのですが、心自体が変えられるように真剣に取り組んでいない人が多いのです。社会や教会で、顔はニコニコしながら人と接しているのに、心の中は苦々しい思いや、さばき心で満ちている人がいるということです。一番だけ取り組むと、教会での交わりが、この世の表面的な人間関係と変わらなくなってしまうのです。
ですから、私たちクリスチャンが行うべきことは、相手を愛すること(相手を赦すこと(さばかないこと)、相手を受け入れること、相手を尊敬すること)なのです。神様の愛によって、口だけでなく、心も制御できるようにしなければならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道