デイリーディボーション 10月22日(月)

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デイリーディボーション 10月22日(月)

2018年10月22日(月)

コリント人への手紙第2 1:12-14
12私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。13私たちは、あなたがたへの手紙で、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。そして私は、あなたがたが十分に理解してくれることを望みます。14あなたがたは、ある程度は、私たちを理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであるということを、さらに十分に理解してくださるよう望むのです。

【ポイント】
①パウロの苦労を知る
コリント教会の中にはパウロのことばを聞こうとせず、反対に反発する人々もいたようです。そこで、パウロは自分がコリント教会に対して大変厳しいメッセージを手紙や訪問を通して伝えているが、それは悪意を伴う攻撃などではなく、「聖さと神から来る誠実さ」「神の恵み」によるものであることを証ししているのです。しかしながら、コリント教会の中にはパウロに対する反発し、第一の手紙に書かれていた問題から態度を改めようとしない人々がいたのでしょう。

このような状態の中で、パウロは忍耐強くコリント教会と関わり続けます。14節の「私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであるということを、さらに十分に理解してくださるよう望むのです。」ということばからは、自分たちに対して心を開き、素直にキリストの教えに従ってほしいというパウロの切なる願いを感じ取ることができます。

究極的には、コリント教会が悔い改めず、不和や分裂の中で消滅して行ったとしてもパウロが困る理由はなかったことでしょう。パウロも「主イエスの日」に触れていますが、「私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる」のです。(2コリ5:10)コリント教会の中にパウロに反発し、キリストの教えに背いて生きていく人がいたとすれば、いずれ「キリストのさばきの座」においてその行いに対する報いを受けることになるからです。しかし、パウロは自分が愛しているコリントの教会のメンバーが悪い行いに対するさばきを受けるようなことにはなってほしくなかったのです。パウロはただ純粋にコリント教会の人々のことを思っていたのです。

コリント教会の人からすれば「余計なお節介」だったかもしれません。しかし、主にあるお節介は「執り成し」と呼ばれます。究極のお節介はイエス様の十字架であり、その究極のお節介は「愛」と呼ばれています。この不寛容な時代には「正論によって人をさばくこと」が正義のようになっているようです。しかし、本当の正義とは、パウロのように相手の問題を指摘するだけでなく、その相手が正しい歩みをすることができるようになるまで寄り添い、お節介を焼き続けることなのではないでしょうか。

ライフチャーチ
大谷信道


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