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2021年10月23日(土)
マタイの福音書 12:6-8 6あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。7『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。8人の子は安息日の主です。」
【ポイント】 ①イエス様が安息日に礼拝されるべき存在 ここに、イエス様の驚くべき発言が記録されています。イエス様は自分が安息日に礼拝を受けるべき存在であると宣言されているのです。つまり、イエス様は、安息日のルールを決めているのは自分であると明言されたということです。
それでは、イエス様は旧約聖書の安息日の律法を完全に変えてしまったのかというと、決してそうではありません。イエス様は単純に、パリサイ人たちの安息日の律法の解釈が間違いであると指摘されているのです。イエス様は「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」というホセア書のみことばを引用しながら、安息日の主として自分は、人が安息日の言い伝え(勝手な解釈)を守るがゆえに、飢えや、病のために命を落とすようなことを決して望んでいないと言っているのです。
神様は、男も女も仕事や家事の手を休め、休息を取り、からだを休め、家族団らんをもち、心のからの礼拝をささげ、みことばによって養われていくことを望まれているのです。しかも、人々が神様との交わり、家族や主にある兄弟姉妹との交わりを一番の楽しみとすることを望まれているのです。一見、忠実に安息の日の律法を守っているように見えても、心の中では嫌々行っていたとしたら、それは神様を喜ばすことにはならないのです。
私たちにクリスチャンにとって「主の日」はそのような日になっているでしょうか。一週間で一番楽しみな日になっているでしょうか。これこそが、安息の日(主の日)に最も重要なポイントなのです。
ライフチャーチ 大谷信道