デイリーディボーション 10月23日(月)

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デイリーディボーション 10月23日(月)

2017年10月23日(月)

【通読】
マタイの福音書 23:16-22
16わざわいだ。目の見えぬ手引きども。おまえたちは言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』17愚かで、目の見えぬ者たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。18また、言う。『だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』19目の見えぬ者たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。20だから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をもさして誓っているのです。21また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。22天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。

【ポイント】
①おかしな風習にメスを入れる
天の父と直接的な愛の関係を持たれている御子イエス様からすると、当時のユダヤ教徒が行っていた風習(過去のラビからの言い伝え)の中に全く意味のないものが沢山あったと思われます。今日の「誓い」についての風習もその一つです。そもそもイエス様は「誓い」について同じマタイの5章でこのように教えられていましたね。

マタイの福音書5章
33さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。34しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。35地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。36あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。37だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

天の父は生きておられ、常に人々の言葉を聞いて下さる方です。ですから、何か誓いを立てたいと思う時に、人々に対して格好をつけた、大げさな誓い方をする必要などないのです。神様の前で個人的な約束をし、後はその約束に対して「はい」と言って実践するか、「いいえ」と言って反故にしてしまうのか、それ以上でもそれ以下でもないということなのです。

さらに、私たち人間が不完全で罪深いものですから、いくら格好良く「誓い」を立てたとしても、それを全うすることができないこともあります。そのような意味では、「誓い」そのものが空しい風習だと言うことができます。もちろん、神様のみことばに従って、生き方を変える決意をすることは極めて重要なことです。しかし、大切なことは、自分の不完全さ、弱さを認めつつ、失敗を重ねながら、神様に助けを求めながら、謙虚に歩み続けることなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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