デイリーディボーション 10月24日(土)

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デイリーディボーション 10月24日(土)

2020年10月24日(土)
ヤコブの手紙 2:10-13 10律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。11なぜなら、「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。12自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。13あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。
【ポイント】 ①イエス様の福音をしっかりと理解する 使徒パウロはイエス様の福音について次のように説明しています。「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」(ロマ3:28)「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ロマ3:24)これがイエス様の福音(救い・義)です。
それでは、イエス様を信じる信仰によって罪が贖われ(赦され)ている私たちは、神様から罪の咎めを受けることがないので、罪を犯しても良いのでしょうか。絶対にそうではありません。「15それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。」(ロマ6:15)
やはり罪を犯してはいけないと言うことは、罪を犯してしまうと、救いが取り去られてしまうのでしょうか。今日の聖書個所はそのように教えているように見えます。しかし、決してそのようなことはありません。なぜなら、わしたちは神様の子どもとされ、神様との愛の関係の中に生きる者とされているからです。私たちは、罪を犯さない人間性を獲得したら救われたのではないのですから、当然のこととして、クリスチャンになった後も罪を犯してしまうのです。しかし、私たちが神の子とされている条件は「罪を犯さないこと」ではなく「神様を愛すること」なので、罪が理由で救いの約束がキャンセルされることはないのです。「38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ロマ8:38-39)
福音を正しく理解した上で、超重要なポイントが残っています。それは、私たちは、地上にいる間は、罪人として生きて行くと言うことです。正確には、神様に愛され、信仰によって罪が赦されている罪人として生きて行くことです。なぜなら、自分に罪の性質が残っていることを忘れるので、ヤコブの手紙に指摘されているような「えこひいき」や「差別」が教会の中に起きてしまうのです。また、保守的なクリスチャンの中に見ることができる律法主義的な傾向も、自分は罪を犯していないという間違った自己理解が原因だと思われます。自分も不完全で罪深い人間でありながら、神様の恵みによって生かされていると理解している人は、他者の罪深さをさばきたいとは思わないはずなのです。
私たちクリスチャンは神様の愛によって一致することができます。しかし、私たちクリスチャンが全員、神様の前に等しく罪人であるという点でも一致がなければ、神様の愛による一致は実現しないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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