デイリーディボーション 10月26日(火)

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デイリーディボーション 10月26日(火)

2021年10月26日(火)
マタイの福音書 12:9-12 9イエスはそこを去って、会堂に入られた。10そこに片手のなえた人がいた。そこで彼らはイエスに質問して「安息日にいやすのは正しいことでしょうか」と言った。イエスを訴えるためであった。11イエスは彼らに言われた。「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか。12人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです。」13それから、イエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は直って、もう一方の手と同じようになった。
【ポイント】 ①安息日の主であるイエス様の教えは極めて「普通」であり「現実的」 ユダヤ人、そして私たちクリスチャンは、聖書に啓示されている神様を信じていない人からすると「常識では考えられないこと」を信じています。友人に「自分はイエス様の復活を信じている」と言ったら、多くの人から「そんなこと信じてるの」と驚かれてしまうことでしょう。
確かに私たちの信仰の中には、信じていない人には全く理解できないことが含まれていることは事実です。しかし、「すべての創造主である神様は恵みとあわれみに満ちた方であり、天の父として私たちを愛している」ということを「事実」だと仮定して聖書を読むと(クリスチャンである私たちは事実と信じているわけですが)、イエス様の教えは極めて「普通」であり「現実的」であることに気が付きます。もっと普通のことばで言えば、イエス様のことば、教えは「宗教臭くない(嘘臭くない・うさん臭くない)」という感じでしょうか。
11節のイエス様のことばを見てみましょう。「11イエスは彼らに言われた。『あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか。』」このイエス様の質問に対する答えは「まちがいなく羊を助けます!」となるでしょう。安息日の主であるイエス様は、安息日(一切の仕事をしてはならない日)だからと言う理由で、穴に落ちた羊を見殺しにすることは神様の望んでいる事でもないし、一般(普通)のユダヤ人の誰でもが羊を助けるはずだと言っているのです。
「輸血」を受けることを禁止しているキリスト教系の宗教団体があることをご存知の方も多いことでしょう。そのようなことは、聖書の啓示されている神様が本当に望まれていることなのでしょうか。その宗教団体によって提示されている輸血禁止の根拠となる聖書個所の解釈は、聖書全体に見ることができる神様の真の姿(御心)と合致しているとは、決して思えません。なぜなら、イエス様ははっきりと次のように教えられていたからです。
マタイ12章7-8節 7『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。8人の子は安息日の主です。」
私たち、聖書を信じる者、神様を愛すると告白している者が、神様の望まれていないことを、あたかも神様の御心かのように教えることこそ「罪」なのではないでしょうか。私たちの「普通」を絶対化してはなりません。しかし「普通」に考えたら変なことは、神様の御心でない事が多いということが、今日のイエス様の教えからも分かるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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