デイリーディボーション 10月27日(金)

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デイリーディボーション 10月27日(金)

2017年10月27日(金)

【通読】
マタイの福音書 23:33-36
33おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。34だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。35それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。36まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。

【ポイント】
①イエス様のパリサイ人への愛を知る
イエス様の時代のパリサイ派、サドカイ派の状況を理解することは聖書を理解する上でとても大切です。これまで、何度も説明してきましたがパリサイ人は元来聖書の実践(律法の遵守)、預言の成就を期待する、ある意味「聖書的」と言えるグループでした。純粋な信仰を求める一般庶民の尊敬を得ていたようです。

一方、サドカイ派はそのメンバーの大半が大祭司、祭司、議会の議員などいわゆる上流階級出身者だったようです。信仰的には使徒の働き23章8節に「サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
」とあるように、特に預言書に記されている霊的(目に見えない領域)なことがらについて否定していました。つまり、旧約聖書全体を神のことばとして信じていなかったグループです。70年のローマ帝国による神殿の破壊により、祭司たちは既得権益を失い、それに伴ってサドカイ派の影響力も失われていきました。事実、聖書以外にサドカイ派について知ることができる資料がほとんど現存していないようです。

さて、このように見てみると、イエス様の教えとパリサイ派の教えは多くの共通点があり、サドカイ派が死者の復活を否定している時点で、イエス様の教えをまったく受け入れないことが分かります。ところが、新約聖書の記述からは、イエス様がサドカイ人よりも、パリサイ人をより厳しく糾弾しているように見えます。一体なぜなのでしょうか?

恐らく、イエス様は、パリサイ人が聖書のちょっとした誤解によって真理から離れてしまっていることを大変残念に思われたのでしょう。イエス様のパリサイ人への厳しい態度は、イエス様の福音を一番よく理解しているはずなのにイエス様をキリストとして信じようとしないパリサイ人を何とかして救いに導きたいというイエス様の愛、情熱の表れではないでしょうか。イエス様のパリサイ人に対する「嘆き」は、決して「諦め」から出たものではなく、彼らの救いのための「熱心さ」から出たものなのです。

私たちは、パリサイ人、律法学者に「悪者」としてのレッテルを貼るような、聖書の中に見ることができる対立軸の「単純化」をしてはなりません。イエス様はパリサイ人たちを愛し、誰よりも彼らの葛藤を理解し、誰よりも強く彼らの救いの望まれていたのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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