デイリーディボーション 10月28日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 10月28日(月)

2019年10月28日(月)
ピリピ人への手紙  4:10-11 10私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。11乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
【ポイント】 ①共働の喜びを味わう パウロはピリピ教会からの心配(援助)を喜んでいます。もちろん、物質的な援助を喜んでいる部分もありますが、パウロの本当の喜びはピリピ教会との「協働」を心から喜んでいるのです。つまり、ピリピ教会の中にパウロが伝えた福音にしっかりと立ち、パウロがキリストから与えられている教会の姿、福音宣教の姿に向かって歩んでいるメンバーがいることを喜んでいるのです。その具体的な様子は、明日以降の箇所に見ることができるわけですが、パウロはローマの牢獄に囚われの身となっていながら、ピリピ教会がパウロと共に主に仕え、主のために戦っていることに大きな喜びを覚えているのです。
同じように、もし私たちがピリピの教会のメンバーと歩調を合わせ、主にある一致を保ち、キリストの福音に堅く立ち、この世に対して福音を証しするという、困難な働きに参加していれば、パウロとピリピ教会が共有していた喜びを味わうことができるのです。そして、私たちは、イエス様からこの歩みに参加するように招かれているのです。
ラグビー日本代表の団結を見て感動し、その活躍を自分のことのように喜んでいる人、ティームワークの大切さを学んだ気になっている人はたくさんいることでしょう。しかし、実際には、ほとんどの人は気楽にテレビを見ている「傍観者」に過ぎないのです。私たちクリスチャンが、パウロやペテロなどの使徒の歩み、初代教会の姿に感心や感動を覚えたり、そこから人生のうんちくを学ぶ程度の「傍観者」で終わっていることはないでしょうか。私たちは、「観客」「ファン」として招かれたのではなく、福音宣教、教会形成のために手足を動かす「選手」としてイエス様から招かれていることを絶対に忘れてはなりません。
ピリピ3章のパウロのことばを聞きましょう。「14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」私たちも、パウロの同労者としてイエス様にお会いすることに希望を置いて歩もうではありませんか。しかし、それは必ずしも大事業を成し遂げることを意味しているわけではありません。パウロがピリピ教会に命令しているように、キリストの福音を学び、そこに立ち続けること、自分の教会や家族を大切にすることから始めればよいのです。神様は私たちの忠実さ、従順さに必ず応えてくださるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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