デイリーディボーション 10月28日(水)

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デイリーディボーション 10月28日(水)

2020年10月28日(水)
ヤコブの手紙 2:19-21 19あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。20ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。21私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。
【ポイント】 ①「卵が先かニワトリが先か」ではない 「信仰」と「行い」は、間違いなく「信仰」が先です。私たちはこれを「福音」と呼んでいます。反対に「行い」を先にしてしまうと、それは「律法主義」となってしまいます。この点について勘違いしているクリスチャンは少ないと思います。
ただ、ここで見逃してはならないポイントは、イエス様も、パウロも、ヤコブも信仰に伴う「行い」については、一切否定していないと言うことです。反対に、信仰によって私たちが行いを変えること、救われて神の子どもとされているからこそ、神様の御心を行うことの大切さが新約聖書の中で繰り返し教えられているのです。
さらに、ここで覚えておかなければならないポイントがもう一つあります。このポイントを十分い理解しないために、信仰につまずいたり、救いの喜びを感じられなくなっているクリスチャンが少なくないのです。そのポイントとは、これまで繰り返し学んでいる事でもあるのですが、「信仰」を持っても一朝一夕には「行い」が変わらないという現実です。それは、子どもがいきなり大人にならないのと一緒です。私たちは信仰により、御霊により、神の子として新しく生まれました。ですから、信仰的に成熟するには時間がかかるのは当然なのです。もちろん、例えばパウロのロマ書12章2節の「2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」というみことばを日々意識しながら生活していれば成長が早まることでしょうし、それは理想的な信仰生活であるとも言えます。しかし、理想的な信仰生活を送っていたとしても、日々自分の不完全さ、罪深さに直面するはずです。大切なことは、そこで落ち込まないこと、自分を責めないことです。そもそも、落ち込んだり、罪責感を覚える理由は、「自分は完全でありたい」という聖さとは真逆の傲慢さ(プライド)であることが多いのです。
神様は、あなたが不完全で、成長が遅いことをはじめから知った上で、あなたを愛し、あなたを受け入れ、ご自分の子どもとしてくださったのです。子どもになった後に、私たちの罪深さを思い出し、責め立てるようなことを神様は絶対にされません。ところが、神様から責められているような感覚に陥るクリスチャンの方もいることでしょう。しかし、自分のことを責めているのは、自分の罪深さを赦せないのは自分自身なのです。
このポイントを押さえ、不完全な自分、成長の遅い自分を、神様がそうしてくださっているように、忍耐強く、温かく見守り、励ましてあげることが大切なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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