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2017年10月3日(火)
【通読】
マタイの福音書 21:8-9
8すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。9そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
【ポイント】
①自分勝手な期待から失望へ
このポイントについてライフチャーチでは何度も触れてきました。例えば、新しい総理大臣、大統領、国会議員をはじめ、新しい担任、上司、牧師、さらに、新郎新婦に至るまで、相手が何ものであるのかを客観的に、正確に理解しないで、自分の勝手な想像、理想を押し付けてしまう時に、後から自分の思っていた人物と違うことが分かる時に、私たちは大変がっかりするものです。
しかし、問題はただ失望するだけでなく、自分の感じている落胆を相手のせいにし、相手を批判したり、責めたりすることです。政治家などの場合は、公約を破るなど、意図的に相手を騙しているケースもあるかもしれません。しかし、多くの場合、自分が相手の想像を勝手に作り上げてしまったことが問題であり、相手の実際の姿(特に短所)を客観的ににていなかった自分に問題があることを忘れてはならないのです。
エルサレムに入ってくるイエス様を見た群衆は「自分の理想の救世主」が来られたと思い、神様を賛美し、大喜びしながらイエス様を迎えました。しかし、この群衆が狂ったように「イエスを十字架につけろ」と叫ぶことになるのです(マタイ27:23)。イエス様は人々を喜ばせるために自分を騙したことがあったでしょうか。ありません。人々が勝手に期待をし、勝手に失望したのです。
②相手を正確に理解し、受け入れる
イエス様が何者で、あなたに何を望んでいるのかを正確に理解していますか?自分にとって都合の良いところは受け入れながら、例えば、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」という極めて重要な招きのことばをいい加減に理解していることはないでしょうか。
自分の周りの人たちとの関わりについてはどうでしょうか。相手に自分の理想ばかりを押し付け、期待はずれだったと腹を立てたりするようなことはしていないでしょうか。自分の心を点検してみましょう。
ライフチャーチ
大谷信道