デイリーディボーション 10月30日(水)

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デイリーディボーション 10月30日(水)

2019年10月30日(水)
ピリピ人への手紙  4:12-14 12私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。13私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。14それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。
【ポイント】 ①「どんなこともできる」とは? 今日の箇所も、本来の文脈が無視され勝手な拡大解釈ななされる聖書個所の代表の一つです。「信じればできる。」とか「信じればすべてが可能だ!」などという、この世的な自己啓発セミナーで語られるメッセージですね。確かに、信念を持ち困難に立ち向かうことによって、自分では想像できなかったような知識、能力、技術を身に着けることができるという現象を体験することがありますし、それは大変素晴らしい体験でもあるでしょう。しかし、ここでの問題は、パウロがそのような話をしているのか否かということです。もちろん答えは「ノー」です。パウロは可能性志向を教えているのでも、前向きに生き方を教えているのでもありません。
パウロは「キリストから与えられている使命を全うする」という歩みについてのみ話をしているのです。勉強の話でも、部活動の話でも、進学の話でも、就職の話でも、キャリアアップの話でもないのです。そもそも、パウロはそのようなことについて何と話していたでしょうか。直前の3章のパウロの告白をもう一度確認してみましょう。「7しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。8それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」
6-7節の「6何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」について日曜礼拝でお話ししましたね。今日の箇所のパウロの約束も、イエス・キリストの弟子として、人生を主に献げ、主から与えられている使命のために人生を生きている人に与えられているものです。残念ながら、自分の人生の成功、自分の人生の祝福、自分の人生の栄光のために神様を利用している人には、全く関係のない約束なのです。反対に、主から与えられた使命のために日々苦労し、悩んでいる人にとっては、必ず成就する約束なのです。
イエス様はこのように教えられています。「24だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)あなたは、二人の主人に仕える人生をやめることができているでしょうか。この世の多くの人のように、「神」と呼ばれる何かを、自分の利益のために利用するだけの信仰生活に陥っていることはないでしょうか? ヤコブは「3願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」(ヤコブ4:3)
それでは、「良い動機」とは何でしょうか。これについても、イエス様ははっきりと教えられています。「33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)「神の国」「神の義」を求めること以外、つまり神様の目的、神様の計画が実現すること以外は、すべて「悪い動機」なのです。例えば「病の癒し」は良い動機、純粋な動機ではないかと考える人もいることでしょう。しかし、病の癒しの先に何を見ているのでしょうか。「健康になったら幸せ」で良いのでしょうか。何のための癒しなのか、何のための健康回復なのか、それが主の計画の実現や、主の栄光に繋がらなければ、悪い動機となってしまうのです。
パウロや使徒たちの歩みに、自分の人生を合わせる時にこそ、聖書のみことばが自分に対する約束となるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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