デイリーディボーション 10月30日(金)

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デイリーディボーション 10月30日(金)

2020年10月30日(金)
ヤコブの手紙 2:22-24 22あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、23そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。24人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
【ポイント】 ①「行い」によって「信仰」を確認する 神様の愛を受け、神様を愛するようになれば、私たちの生き方は変わります。人が結婚したり、子どもが産まれたりすれば、それまで自分の趣味や楽しみのために使っていた時間やお金を配偶者や子どものために用いるようになるのと同じです。その行動の変化を見る時に、「ああ、この人は奥さん(旦那さん)や子どものことを本当に愛しているのだなー。」と思うわけです。反対に、家族との時間を大切にせず、独身の時と変わらないような時間やお金の使い方をしているのを見れば、「ああ、この人の家族に対する愛はいい加減だな。」と思うのです。神様に対する信仰(愛)も同じです。神様を信じ、愛していることは、その人の(神様との交わりや与えられた使命のために使う)時間やお金の使い方を見れば、その人が本当に神様を信じ、愛し、大切にしているのかを見ることができるのです。家族を大切にしない人が「心の中では真剣に家族を愛しているのです!」と主張しても、行動が伴わなければ、何の説得力もないのと同じで、「心の中では神様を信じ、愛しています!」と言っても、実際の行いがなければ、そのような信仰は空しいものであることが分かるのです。
そもそも、もしイエス様が「神様の愛」を語るだけで十字架にかかられなかったとしたら、イエス様のことばはすべて空しく、偽りであったと判断されたことでしょう。ですから、十字架の愛を受け取った私たちが、イエス様の愛を受け、生き方を変えなければ、イエス様の十字架(神様の恵み)を無にすることになることを知る必要があるのです。もし、そのような状況に陥っていたとしたら、自分が、自分にとって利益となる罪の赦し、永遠のいのち、祝福などをもらうだけもらっておいて、後は知らんぷりと言うようなひどい人間であることに気が付く必要があるのです。
ですから、私たちは、自分の行ない、生き方が、神様の愛への応答となっているのか精査することが大切なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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