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2021年10月5日(火)
マタイの福音書 10:28-33 28からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。29二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。30また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。31だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。32ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。33しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
【ポイント】 ①神を愛する者は必ずその報いが与えられる 私たちクリスチャンは、天国に行く権利が与えられている人ではありません。そもそも、「天国に行きたい」という理由で、イエス・キリストを信じている人がいたとしたら、それはイエス様が教える「信仰」ではないのです。そのような人にとっての「天国」とはどのようなものなのでしょうか?
「人生の喜びは素晴らしい家庭を築くことだ!」と考えている人がいるとします。もし、その人が豪邸を手に入れて、そこで「私の妻(夫)はどこ? 私の子どもたちはどこ?」とつぶやいていたとしたらどうでしょうか。客観的には愚かな人だと思わないでしょうか。人生の最大に喜びが素晴らしい家庭を築くことだと信じているのであれば、必死の思いで結婚相手を探し、実子であろうが養子であろうが、愛すべき子どもが与えられるために全力を尽くすことでしょう。どのように素晴らしい場所を用意したとしても、愛する対象、自分を愛してくれる相手が天から降ってくることはないのです。
「天国」も同じです。天国を形作っているのは物理的な場所ではありません。神様の愛を受け、神様を愛すること、隣人を愛することを約束した者には、神様との愛、隣人との愛が実現している天の父を中心とした家庭が築かれるのです。イエス様が神様を天の父と呼ばれていることから、簡単に想像できることですね。ですから、神様との愛の関係、神を愛する兄弟姉妹との愛の関係が抜け落ちた「天国(像)」は、「配偶者も子どものいない豪邸」と同じなのです。
神様、そしてイエス様との愛の関係の中に生きていない人は、信仰がないのと同じですし、「イエス様を知らない」と言っているのと同じなのです。ですから、教会で信仰告白をしていようが、バプテスマを受けていようが、そのような人は天国に入っていないのです。よく考えたら、当たり前のことですね。
ライフチャーチ 大谷信道