デイリーディボーション 10月9日(火)

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デイリーディボーション 10月9日(火)

2018年10月9日(火)

コリント人への手紙 15:45-52
45聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。46最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。47第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。48土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。49私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。50兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。51聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。52終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

【ポイント】
①神様を信頼する
アダムの子孫である人類は罪の中に死ぬ存在となっていました。アダム一人の罪が全人類に及んでしまったのです。人類の罪を贖い、ご自身も永遠の死を克服されたイエス・キリストは「最後のアダム」となり、アダムによって蔓延した罪の問題を解決してくださったのです。旧約聖書を知らない人にとっては大きな意味を感じない出来事かもしれませんが、聖書を信じる者は「最初の人アダム」「最後のアダム」というパウロの説明に神様の綿密な計画を見出すことができることでしょう。

ですから、もし死者の復活がなければ「最初の人アダム」の罪の問題の解決はありませんし、神様はただ単に罪滅びていく存在として人間を創造されたことになってしまいます。唯一残されている方法は、律法を完全に守り、罪の贖いのために動物のいけにえをささげ続けることです。しかし、その律法もキリストの復活を抜きにしてしまうと、不完全なものになってしまうとヘブル書の著者は教えています。

ヘブル人への手紙 10章
1律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。2もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。3ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。4雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。

ライフチャーチ
大谷信道


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