デイリーディボーション 11月1日(火)

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デイリーディボーション 11月1日(火)

2022年11月1日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 5章12-14節 12そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。13というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。14ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
【ポイント】 ① 律法の有無で変わること、変わらないことを知る 旧約聖書=律法というようなイメージを持っているクリスチャンの方がいるかもしれませんが、ここでパウロが語っている通り「アダムーモーセ」の間までは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫たちも律法なしで生きていました。そして、パウロは律法がない時代のアブラハムは「信仰」によって義とされたことを指摘していましたね。私たちクリスチャンはその「信仰」とは「まことの神様への愛」であることを知っているわけです。そして「まことの神様」がどのような方であるのかは、旧約聖書に記されているわけですが、最終的で決定的な啓示はイエス・キリストなのです。ちょっと話がそれましたが、ポイントはズレていません。つまり、神様は天地創造の初めから(それ以前から)一切変わることなく、これからも変わることなく、人類を愛し、人間が個人的に神様の愛を知り、神様を愛するようになることを望まれているということです。そして、律法は極めて重要なものだけれど、あくまでも人間がまことの神様とその愛を知り、愛の関係を築くようになるためのプロセスの1つであったということなのです。
律法を考える上で、絶対に見落としてならない事実は、イスラエルの民(ヤコブの子孫たち)はエジプトで400年もの長い時間を過ごしてしまったということです。400年です。私の個人的な経験を一般化することは危険ですが、私が会ったことのある、日系アメリカ人の方々は、2世代目でも日本語が流暢に話せない人がたくさんいましたし、3世代目、4世代目となると、日本語だけでなく、日本の文化もあまり知らない人が多かったという印象があります。例えば、1世代目の人が結婚後に移住し、その直後に子どもを授かったとすると第2世代の誕生は移住後0~1年後になります。その第2世代の人が結婚し、子どもを授かるのが25歳だとすると、第3世代は移住後わずか25~26年、同じように第4世代の誕生は移住後50~51年となるわけです。つまり、移住直後から、第2世代以降のアメリカ人化が起きているというということです(アメリカで生まれれば国籍も取得できてしまいますね)。それが、400年だったらどうでしょうか。当時は結婚も出産も早いでしょうから、20世代ぐらい進んでしまうわけです。実は、マタイの福音書1章の系図では、エジプト移住中の世代は4人以外省略されてしまっているのです。
これは、あくまでも私の想像からの個人的な考えとしてお聞きいただきたいのですが、この400年間に起きた「イスラエルの民のエジプト人化」は相当なものだったと思うのです。この400年の隔たりを埋め、イスラエルの民をエジプトの宗教、信仰、価値観から抜け出させ、神様からの使命に生きる者として導くためには、ある意味、厳しい律法(徹底的な教育)が必要だったのでしょう。パウロはガラテヤ人への手紙3章24節で律法を「養育係」と呼んでいますね。「24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」
これは、またある意味、アブラハムへの原点回帰と見ることもできます。つまり、神様は400年以上をエジプトで過ごしたイスラエルの民をアブラハムのところまでもう一度もどし、まことの神様への信仰(愛)に生きる人々とされたかったと考えることもできます。残念ながら、律法は神様の御心とは違う目的で用いられ、多くのイスラエルの民は別の方向に進んでしまったのです。
しかし、神様は再び誰もが分かる形で原点回帰のチャンスを与えられたのです。それがイエス様であり、イエス様の福音なのです。大切なのは律法の有無ではなく、神様への愛と信頼の中に生きたアブラハムに続くことなのです。いまや、ユダヤ人だけでなく、すべての人が神様がアブラハムに与えられた使命に招かれているのです。言うまでもなく、そこで最も重要なことは神様との愛の関係の中に歩むという祝福が与えられていることです。
残念なことに、キリスト教がユダヤ教に先祖返りしてしまっている部分が少なくないのです。私たちが戻るべきは、神様の御心とは別の方向に進んでしまったユダヤ教という宗教ではなく、アブラハムと神様との生きた愛の関係なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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