誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2020年11月10日(火)
ヤコブの手紙 4:1-3 1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。2あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。3願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
【ポイント】 ①「戦い」や「争い」は普段の生活の中にもある もしかすると、自分は「戦い」や「争い」とは関係のない生活をしていると感じているクリスチャンの方が多いのではないでしょうか。確かに、2節にあるような人殺しに発展するような争いを経験している人はほとんどいないことでしょう。しかし、だからと言って、私たちの日々の生活に戦いや争いがないわけではありません。例えば、家庭内でも、夫婦間で、夕食を家で食べるか否かということについて「言った」「言わない」などと言い争いが起きたり、兄弟間でゲームの順番の取り合いでケンカが起きたりするものです。
会社の同僚や学校の友人の間でも、相手に「また自慢話してる」とか「また張り合ってきてる」と不愉快に感じる場面などがあると思います。しかし、そこで相手とのある種の緊張関係が生まれている原因が相手にではなく、自分にあることに気づく必要があります。なぜなら、自分の中に相手よりも優位に立ちたい、優れた存在でありたいという願望がなければ、純粋に相手の話を素直に聞き、一緒に喜んであげることができるはずだからです。つまり、1節にあるように、争いの原因は相手ではなく、自分の「欲望」にあるのです。
この1点に気づくことができないと、家庭、学校、職場、教会など、あらゆる場所で「争い」が起きてしまいますし、そこにいる人は皆、争いの原因は相手にあると考えるようになってしまうのです。しかし、私たちクリスチャンは、今日の個所を読むときに神様から「その問題の原因は、あなたの心の欲望にあるのではないですか?」という問いかけを聞くことができるのです。つまり、このみことばを真剣に受け取る人は、痛みを覚えるけれども、心の奥底にある「欲望」という病巣にメスを入れることができるのです。反対に言うと、心の病巣にメスを入れる覚悟でみことばを聞かなければ、そのみことばを何十回聞いたとしても聞くだけで終わってしまうのです。
心の奥にある「欲望」にメスを入れないと、争いがおこるだけでなく、私たちの信仰も、自分の欲求を満たすための道具(手段)になり、この世のご利益宗教と何も変わらないものになってしまう危険性があるのです。さらに、3節にあるように、神様はすべてをご存じなので、自分の欲望を満たすために神様を利用しようとしている人の祈り・願いに応えてくださることはないのです。
自分の心の欲望を一朝一夕に消し去ることはできないかもしれません。しかし、自分が欲望に支配されているか否かを確認することは決して難しいことではありません。まずは、神様の前に正直になり、自分の心にメスを入れるところから始めてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道