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2020年11月11日(水)
ヤコブの手紙 4:4-5 4貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。5それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。
【ポイント】 ①神を愛する生き方を選び取る 5節は理解(解釈)が難しいと言われている箇所です。「聖書」の中には「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」という箇所がありませんので、ヤコブがどの聖書の個所を指しているのか、またその箇所がどのような文脈の中で語られているかを特定することができません。ですから、ヤコブは聖書全体に見ることができる神様の愛について語っていると理解するのが適当かと思われます。
自分が「世を愛している」のか「神様を愛している」のかを確かめる簡単な方法(ちょっと乱暴ですが)は、「明日、あなたは天国に行きます。」という宣告を神様か御使いから受けたときに、どのような考えが頭に浮かび、どのような思いが心に湧き上がるのかを想像することです。この世を愛し、この世が一番幸せな場所であると考えている人は「嫌だ!」と感じることでしょう。もちろん、神様から与えらえた使命を十分に果たすことができていないので、またこの世で主のために働きたいという理由で、この世にとどまりたいと思うクリスチャンは別です。あなたは、どうでしょうか?
この世とは違い、神様と顔と顔を合わせ、交わることができる状況よりも、この世での生活のほうに心が惹かれるとしたら、私たちは神様を愛していないか、神様の愛を正しく理解していないかのどちらかになるはずです。このような状況では、私たちは、自分のこの世での成功、満足のために神様を利用していることにはならないでしょうか。自分の願いが実現させるための、交換条件として神様に神様に従っていることにはならないでしょうか。
愛は排他的な性質を持っています。つまり、一方を愛し、他方も愛するというのは、そもそも「愛」ではないと言うことです。イエス様はこのことを明確に教えられています。「24だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)
今日もヤコブからのメッセージを、あたかも自分の心にメスを入れるように、しっかりと受け取ってみましょう。自分の神様への愛が純粋なものであるのかを改めて確認する時としましょう。
ライフチャーチ 大谷信道