デイリーディボーション 11月12日(月)

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デイリーディボーション 11月12日(月)

2018年11月12日(月)

コリント人への手紙 第2 4:13-15
13「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。14それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。15
すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

【ポイント】
①私たちの真の希望
「こんなはずじゃなかった!」進学、就職、結婚、出産などを迎え、また実際の歩みが始まった後にこのようにため息をついてしまう経験をしたことはないでしょうか。「あの学校に入学できたら」「あの仕事に就けたら」「あの人と夫婦になれたら」「子どもが生まれたら」など、夢に胸を膨らませることは、将来にむけて努力を重ねる原動力になるものです。ところが、実際には自分の理想や期待とは異なる現実が待っていることが多いのです。

しかし、この理想や期待と現実のギャップに直面するときこそ、私たちが社会人として成熟するチャンスでもあります。自分の思い通りではない現実、自分の思い通りにならない現実を受け入れつつ、忍耐強く夢や理想の実現のために歩み続ける中で、「忍耐」「粘り強さ」「前向きさ」など、周りの人からの尊敬や信頼を勝ち取るために必要な要素を身につけることができるからです。

信仰の歩みにも同じことが言えます。信仰決心前に思い描いていたクリスチャン生活と、実際のクリスチャンとしての歩みにギャップを覚える人は少なくないと思います。このような事態が起こらないように、イエス様は信仰の歩みの現実について極めて明確に説明しています。「23イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(ルカ9:23)、「29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11:29)イエス様の説明があるにもかかわらず、クリスチャンの歩みの中で困難に直面すると、そこから逃げてしまう人が少なくないのです。(マタイ13章)

しかし、4章10節の「10いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」というパウロのあかしから、クリスチャンの歩みも自分の思い通りにならない出来事に直面するときこそ、神様との関係を深めるチャンスなのであり、さらにこの世に対する「証し」のチャンスでもあることを知ることができます。パウロはここにこそ、クリスチャンとしての真の喜びがあると教えているのです。

現代の日本に生きる私たちには、パウロの時代にクリスチャンが経験したような迫害、艱難はありません。しかし、キリストに従う故に経験する様々な葛藤、誘惑を経験しています。ですから、私たちも「14主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださる」というこの一点に希望を置こうではありませんか。その時に私たちは、日々前向きに歩むことができ、その歩みこそが力強い「証し」となるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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