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2022年11月15日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 6章12-14節 12ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。13また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。14というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
【ポイント】 ①キリストにある新しい生き方 12節の「その情欲に従ってはいけません」、13節の「あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。」という箇所を見てみましょう。信仰がなくても、これらを守っている人もたくさんいることでしょう。ですから、クリスチャンであろうがなかろうが、情欲に身を委ねること、不義(一般的常識として悪いこととして共有されていることも含め)が悪いことであることを経験から知っているのです。
しかし、私たちクリスチャンは一般常識、社会で共有されている道徳や倫理の教えに従って、情欲や罪に従わないようにしているわけではありません。それは、12節の「ですから」ということばから分かります。つまり、ここで重要なポイントは、情欲や罪に従わない生き方へと私たちを駆り立てる「動機付け」なのです。そして、それは「ですから」の前に書かれていることになるわけです。直前の11節には「11このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」とありますが、1節から注意深く読み直してみると、さらによく分かります。例えば、6節には「6私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」とありますね。大切なポイントは「キリストとともに」という部分です。つまり、イエス様との個人的な(愛の)関係が結ばれている私たちは、大好きなイエス様が悲しんだり、残念に思うようなことをしたくなくなるはずなのです。ということは、これらは「戒め」ではなく、誰かから強要されてではなく、自分の意志で情欲や罪に従わないという選択をしたくなるということなのです。
ところが、イエス様の喜ばれる義の(正しい)道を歩むことが、「自分の意志(自分のしたいこと)」だとしても、それを行い続けるのは容易なことではありません。スポーツ、学問、技術、芸能などの鍛錬と一緒ですね。私たちは、それらを自分の好きなこと、したいこととして始めるわけですが、そこには様々なチャレンジが存在するわけです。自分の目標に到達するためには、多くのことを犠牲にしてそれに打ち込む必要もあることでしょう。自分の意志だからと言って、ただ楽で、楽しいだけではないのです。イエス様と共に歩む人生も同じです。誰から強勢されているわけでもないですし、それをしなかったら罰を受けるという恐怖に動かされているわけでもないのです。イエス様との愛の関係の中に歩み、イエス様に喜んでいただける人生を歩むことが、自分の人生の喜びでもあるからです。
私たちはこの1点を見逃してはならないのです。もし、見逃してしまうと、キリスト教は単なる宗教、教会は単なる倫理を教える会になってしまうのです。大切なことは、イエス様の愛に動かされていくことなのです。
ライフチャーチ 大谷信道