デイリーディボーション 11月18日(土)

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デイリーディボーション 11月18日(土)

2017年11月18日(土)

【通読】
マタイの福音書 26:20-25
20さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。21みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」22すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。23イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。24確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」25すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。

【ポイント】
①大変なときこそ信仰が問われる
イエス様の話しを聞いた弟子たちは大変な落胆、絶望感を味わっていたと思われます。全てを捨ててイエス様に従ってきたのに、「新しいイスラエルの樹立」「新しい国で要職に就くこと」などという夢が、実現の直前で水の泡と消えようとしていると感じたことでしょう。さらに、自分たちの仲間の中に裏切り者がいると聞いて、互いへの不信感も強まったことでしょう。

イエス様は弟子たちがこのような状況に追い込まれてしまうことを知った上で、あえて、何も包み隠さずに弟子たちに共有されました。これまでも、迫害の予告、十字架の予告など、事あるごとに弟子たちが直面するであろう困難について明らかにされてきました。それは、弟子たちの信仰を強める上で極めて大切なことだったのです。なぜなら、信仰は大変な状況の中で試され、強められるという法則があるからです。

この法則は、例えば、マタイ5章の「山上の説教」にも見ることができますし、使徒パウロも次のように説明しています。「3そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」さらに、パウロはイエス様から直接このように教えられたと証ししています。「9しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリ12章)

天の父は必要に応じて、私たちに患難を与えられることがあるということです。しかし、そこで絶対に勘違いしてはならないことは、天の父が与えられる患難は「罪の報いとしての罰」でも「意地悪」でもないということです。ヘブル書の著者はこのように説明しています。「5そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。6主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』7訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。8もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。」(へブル12章)イエス様も、常に真実を語り、イエス様に従う困難さについても明らかにされました。それは弟子たちを愛し、本気に向き合っていた証拠なのです。

私たちはどうでしょうか。仕事、家庭などで物事が自分の思い通りに進まない時に「神様が祈りに答えてくれない」「神様から見放された」などと感じている人はいないでしょうか。しかし、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」というイエス様のみことばに信頼してみましょう!

ライフチャーチ
大谷信道


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