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2020年11月2日(月)
ヤコブの手紙 3:1-2 1私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです2私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
【ポイント】 ①口は禍のもと 今日の個所から、ヤコブが手紙を宛てた教会の中で「教師」が問題の原因になっているケースが多かったことが推察できます。それらは牧師、聖書を教える役割を負っている信徒であったのでしょう。つまり、教会のなかで指導的な立場にあるにもかかわらず、教えている内容に問題があったのか、その言動(クリスチャンとしての品格、品位)に問題があったと考えられます。
現代においても、牧師、教師などのリーダーの育成が間に合わず、彼らが教会の不健康化の原因になってしまうケースがあるようです。もちろん、長年牧師や教師を務めている人のクリスチャンらしからぬ(イエス様の戒めに沿わない)言動によって、信徒が傷ついたり、つまずきを与えたりしてしまうケースもあります。いずれにしても、ヤコブの時代も現代も、リーダーの未熟さに関する問題が潜在的に存在していると言うことです。
もちろん、最初から成熟した教師は存在するはずはないので、教会全体として教師の成長を忍耐強く、愛を持って見守ることはとても大切です。しかし、牧師も教師もその負っている責任、影響力が大きいために、主の御心に沿わない働きをしてしまったとしたら、「格別きびしいさばきを受ける」ことになることを心に留めておくことが重要です。牧師や教師になった瞬間から、偉そうな態度を取ってしまうなど、高慢になってしまう危険性があることを知らなくてはなりません。牧師、教師は常にこの誘惑と戦い、ことばも態度も制御することが求められているのです。例えばパウロはどうだったでしょうか。[「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」(2コリ10:10)パウロも決して威張らず、権威を振りかざさず、柔和で、謙虚な態度で人々と接していたのです。
ライフチャーチ 大谷信道