デイリーディボーション 11月20日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 11月20日(火)

2018年11月20日(火)

コリント人への手紙 第2 5:11-14
11こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。12私たちはまたも自分自身をあなたがたに推薦しようとするのではありません。ただ、私たちのことを誇る機会をあなたがたに与えて、心においてではなく、うわべのことで誇る人たちに答えることができるようにさせたいのです。13もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

【ポイント】
① すべては主のために
私たちクリスチャンにとって大変わかりやすい人生の指針は「主のために生きる」というものです。イエス様の福音の招きは「38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。39自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」というものです(マタイ10章)。このことばを聞く時に私たちは「十字架を負うとは具体的に何をするべきか?」とか「自分のいのちを捨てるために何をするべきか?」などと考えてしまうでしょう。しかし、招きの本質は「イエス様についていく」ことです。それは、言い換えれば「キリストのために生きる」ということでもあるのです。

あなたは自分のためでなく、キリストのため勉学に励むという視点を持っていますか?あなたは自分のためでなく、キリストのためにキャリアを築くという視点を持っていますか?あなたは自分のためでなく、キリストのために良い家庭を築くという視点を持っていますか?

もし、それらがキリストのためでなく、自分の喜びや満足のためだけだとしたら、私たちの信仰はご利益宗教のそれに陥ってしまっていることに気が付かなくてはなりません。

地上において、自分の夢や理想が実現しなかったとしても、イエスさまに忠実について行った人はこの世とは比較にならないほどの喜びや満足を天の御国で与えられるのです。なぜなら、その人は「自分のため」ではなく「キリストのため」に人生をささげたからです。

しかし、イエス様は私たちの人生をささげるように一方的に命令しているのではありません。イエス様が、私たちを愛し、私たちのためにご自身のいのちを捨てられたのです。この事を本当に理解する人は、強いられてではなく、自ら進んでイエス様のために人生を生きたいと思うようになるのです。

あなたはどうですか?

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info