デイリーディボーション 11月21日(木)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 11月21日(木)

2019年11月21日(木)
コロサイ人への手紙  2:1-2 1あなたがたとラオデキヤの人たちと、そのほか直接私の顔を見たことのない人たちのためにも、私がどんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。2それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。
【ポイント】 ①パウロの苦闘に参加する 「日本人は平和ボケしている」と言われます。しかし、もっと正確言うと「平和についての無知・無関心」となるのではないでしょうか。平和であることが「当たり前」になってしまっているので、実際には平和を揺るがすような事態が起きていても、その深刻さに気が付かないのです。
また、最近「日本はすでに先進国ではない」と耳にします。ほとんどの日本人は日本が「先進国」だと思い込んでいます。しかし、一人当たりの名目GDP(USドル)は世界で26位だそうです。アジアでは4位です。世界全体でみれば決して貧しい国ではありませんが、ここで指摘したい問題は、現実の日本姿は、多くの日本人が持っている豊かさのイメージとは違うものになってしまっているということです(貧しい国が悪く、豊かな国が良いという意味ではありません)。
このような勘違いはキリスト教会でも見ることができます。現代の教会では教義的な健全さも失われつつあります。多くのプロテスタント教会のホームページには「当教会は、正統なプロテスタント教会です。エホバの証人、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。」とか「当教会は、聖書のみを神のみことばと信じ、聖書そのものから学ぶ教会です。」というような文言が掲載されています。そして、多くの信徒は「自分は正当なプロテスタント信者だ」「自分の教会は聖書的な教会だ」と信じていることでしょう。本当にそうなのでしょうか。もちろん、完璧な教会は存在しません。聖書的であることを大切にしていることだけでも素晴らしい姿勢だと思います。しかし、例えば使徒パウロが現代の教会の様子を見たとしたらどうでしょうか。パウロが見たことも、聞いたことも、教えたこともない習慣や伝統が「正統」と呼ばれているようなことはないでしょうか。特に、ヨーロッパ、アメリカ、韓国などの教会の真似をするような形で発展した教団、教会は、聖書的でない習慣まで「キリスト教の伝統」と勘違いし、それが「正統」であるかのように思い込んでしまっているケースが少なくないのです。
私たちは、現代の教会が抱えている様々な問題を直視し、言い訳をせずに素直に問題を認め、自分の無知、無関心を反省し、すべてを変えることができないとしても、少なくとも、何が聖書的で何がそうでないかの区別ができていることが大切なのです。それは、パウロの視点で自らを振り返ることであり、パウロが闘っていた苦闘に参加することでもあるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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