デイリーディボーション 11月21日(火)

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デイリーディボーション 11月21日(火)

2023年11月21日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 4:4-6 4私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。5ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。6さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。
【ポイント】 ①書かれていることを越えない 日曜日の礼拝説教では、イエス様の時代のパリサイ人・律法学者から、現代に至るまで、聖書に書かれていないことが、あたかも神様のことばかのように教えられている実態について触れました。例を挙げればきりがないのですが、カトリック教会では、イエス様の母マリアについて、バプテスマ(洗礼)や主の晩餐(聖餐)についての理解などに、聖書に書かれていない様々な教えがなされてきました。残念ながら、宗教改革を経ても、プロテスタント教会の中にも、様々なカトリック教会の伝統・風習が残っています。例えば、アドベントやクリスマスがそうです。残念ながら日本人クリスチャンは、欧米で行われている教会の習慣を取り入れることによって、より本式(本場)の教会に近づけるという感覚が刷り込まれてしまっているようです。これは、西欧列強に追いつき、追い越すことが発展につながると信じてきた多くの日本人に刷り込まれている感覚なのでしょう。聖書には、イエス様が自分の誕生を覚えたり、祝ったりするように命令している箇所は一切ありませんし、弟子たちがそのような習慣を始めた記録もないのですが、カトリック、プロテスタントを問わず、クリスマスの持ち方に疑問を感じるクリスチャンがほとんどいないのです。つまり、「書かれていることを越えている」ことに、問題意識をもつクリスチャンが非常に少ないということなのです。
ですから、もし私たちが本当に聖書のみことばに忠実でありたいと思うのであれば、教会や自分の信仰の歩みの中に「書かれていることを越えている」ことがないのか、しっかりと考えることが重要なのです。繰り返しになりますが、そのためには、欧米の教会の真似をすれば本場の教会に近づけるというような感覚が間違いであることに気づく必要があるのです。
もし、使徒パウロが現代に現れたとしたら、現代の教会を見て驚くことがたくさんあることでしょう。現代のほとんどのクリスチャンはクリスマスを祝わない教会があったら、その教会は正統なキリスト教会ではないのかもしれないと感じるでしょうが、使徒パウロは、クリスマスを盛大に祝っている教会を見たら目を丸くして驚き、何の異端なのかと怪しむことでしょう。さらに、自分が手紙を通して教えてきたことが全く無駄であったのではないかとがっかりするかもしれませんね。
問題の解決は簡単です。聖書に書かれていること、つまり、イエス様のみことばを大切にしていくこと、それ以外のことはそれほど重要なことではないことを知ることなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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