デイリーディボーション 11月22日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 11月22日(金)

2019年11月22日(金)
コロサイ人への手紙  2:3-5 3このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。4私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。5私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。
【ポイント】 ①知恵と知識の宝はキリスト パウロが行っている、「知恵」「知識」は決して難しいものではありません。なぜならそれは「キリスト」だからです。それでは、私たちはどのようにして「キリスト」を知ることができるのでしょうか。それは、言うまでもなく「聖書」です。新約聖書が完成し、新旧約聖書を自分のことばで読むことができる私たちにとっては、この「知恵と知識との宝」に誰でも、いつでもアクセスできるのです。
ですから、聖書を通して、神様の完全な啓示であるイエス・キリストについて誰でも知ることができる現代においては「知らなかった」という言い訳が通用しません。自分で字が読めない、自分の言語に聖書が訳されていない時代とは、全く違うのです。イエス様の時代から今日に至るまでの2千年間のほとんどは、一般庶民が聖書を読むことができない時代でした。日本においても、口語訳の新旧聖書が出版されたのは1955年です。それ以前には文語訳聖書が存在しましたが、口語訳聖書出版の直前では、話し言葉(口語)との乖離があり、理解できない人も少なくなかったようです。私の父は、ある牧師が「口語訳聖書ができちゃうと、説教で話すことがなくなっちゃうよ。」とつぶやいているのを聞いたことがあると話していますが、1950年代には若者が文語聖書を十分に理解できていなかったことを示唆しています。しかし、口語訳聖書の出版に加え、日本人の識字率の高さを考えると、この65年間は、ほぼすべてのクリスチャンが自分の理解できる言葉で訳されている聖書を手にし、読むことができる状況にあるのです。つまり、私たちは、「知恵と知識との宝」に誰でも直接アクセスできるという、極めて恵まれた時代に生きているのです。
ゆえに、私たちは何が聖書に記されていて、何が記されていない人間の教えであるのかを、どの時代のクリスチャンよりも正確に見極めることができるはずですし、見極める責任を負っているのです。いかなる教会の伝統、キリスト教的習慣も、聖書以上の権威を持つことはありません。繰り返しになりますが、私たちは自分の知識欲を満たすために聖書を学ぶのではありません。キリストの福音を正確に次世代に伝えていくため、「まことしやかな議論」や「異端」から教会を守るための闘いのためにも、聖書を学ぶのです。この闘いに無関心であることは、使徒パウロの闘いを無駄にしてしまうことにもなることを覚えておきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info