デイリーディボーション 11月24日(金)

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デイリーディボーション 11月24日(金)

2023年11月24日(金)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 4:14-15 14私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。15たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
【ポイント】 ①パウロの親心を受け入れる 今日の個所から、私たちはパウロの親心(愛情)を感じ、受け取ることができます。ある注解書には、パウロが父としての権威を主張しているという説明がされていますが、そのような理解はパウロの本来の思いとはちょっと違うのではないかと思います。新約時代だけでなく、世界の多くの国々で、父が自分の権威をもって子どもたちを従わせるという家族の形が普通に受け入れられていると思います。しかし、例えば、イエス様が話された「放蕩むすこのたとえ」を見ると、そこに描かれている父親(天の父の比喩なわけですが)は自分の権威によって息子たちを従わせるような父子関係は持っていません。最初から、最後まで息子たちを愛し、息子たちがその愛に気づき、父親からの愛の応答として父を愛するようになるというような父子関係なのです。このようなイエスさまのみことばを受け取っていたパウロが、信仰的な父親としての権威をふりかざしたり、権威によって自分の言うことを聞かせようとしたとは考えられないのです。
社会も、イエス様が教える父子関係の大切さに気付き、父親の権威、教師の権威、上司の権威、国家の権威などの権威によって子ども、生徒、部下、国民を威圧することが良い結果を生み出さないことに気づき始めました。つまり、社会がイエス様の教えに近づいてきたとも言えるかもしれません。保守的なクリスチャンの中には、現代の教会、クリスチャンが社会に迎合し、教会や牧師の権威を認めない不健全な信仰に陥っていると感じている人がいるかもしれません。しかし、私は全く逆だと考えています。教会が社会に迎合しているのではなく、社会のほうが聖書の教えに似た価値観を持つようになったと思うのです。そして、多くの教会や家庭がイエス様の本来の教えから離れ、教会や牧師、または父親の権威を便利に利用し、人々に自分たちの言うことを聞かせるという神様の御心とは違う姿が常態化してしまっていたのではないでしょうか。
今日の個所を見れば、パウロは自分の信仰の父としての「権威」ではなく、信仰の父としての「愛」について語っていることは明らかですね。パウロがイエス様から直接受けた、確かな福音をコリントの人々に伝え、その福音が間違いのないものであるからこそ、人々は救いへと導かれたのです。パウロは間違った福音を伝える人々が後を絶たない中で、コリント教会人々が神様の子どもとされたのは自分が伝えた福音によるものであるという確信と喜びを持っていたのでしょう。
パウロの信仰の父としての親心、子どもたちに対する愛情、そして心配を想像し、その思いが現代に生きる私たちにも向けられていることを覚えましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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