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2020年11月25日(水)
ヤコブの手紙 5:12 12私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。
【ポイント】 ①神様の名を汚さない 主の御名によって誓いを立ててはならないという命令は、旧約聖書にもイエス様のみことばにも見ることができます。それぞれを見てみましょう。
レビ記19章 11盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない。12あなたがたは、わたしの名によって、偽って誓ってはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。
マタイ5章 33さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。34しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。35地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。36あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。37だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。
レビ記の文脈を見ると、人が誰かを欺いたり、だましたりするときに「神に誓って、私は嘘をついていない」というような言葉を使っていたのだろうと推察できます。これは、神様を名前を自分の利得(犯罪)のために利用することであって、神様の名をみだりに唱えることであり、神様の名を冒涜する以外の何ものでもない行為だという言うことです。
実は、これに似た行為がクリスチャンの中で頻繁に行われているのではないかと思っています。それは「神様に示された」という言葉です。もし、それが本当に神様からの示しであれば、それは神様の御心(計画)と100%一致していることになり、絶対的な正しさ、権威を有することになります。ですから、「神様にしめされたので・・・」と言われたら、それを聞いた人は誰も疑問を差しはさむべきではないほど神聖なものであることになります。
「えーっ、そこまで厳密に受け取る必要があるのでしょうか?」と感じる方もいらっしゃることでしょう。実は、その感覚が危険なのです。「神の名」が使われていることに畏れを感じなくなっている可能性があるからです。つまり、神様の名がみだりに唱えられていることに問題を感じなくなっているのです。
私たちは、普段の生活の中で神様の名によって誓いを立てることはないかもしれません。しかし、神様の名をみだりに唱えたり、利用していることはあるのではないでしょうか。よく考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道