デイリーディボーション 11月28日(火)

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デイリーディボーション 11月28日(火)

2017年11月28日(火)

【通読】
マタイの福音書 27:3-10
3そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、4「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と言った。5それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。6祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから」と言った。7彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。8それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。9そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。10彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」

【ポイント】
①ユダの苦悩を理解する
イエス様はユダをどのように見ていたのでしょうか。確かにイエス様はマタイ26章24節で「…しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」と言われました。一方、使徒ヨハネは1ヨハネ1章9節で「9もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」とも教えています。

今日の箇所を見ると、4節でユダが自分の罪を告白していること、5節で貰った銀貨を返していること、さらに自らの命を絶って償いをしたという事実から、ユダが悔い改めに導かれたようにも見えます。しかし、それは純粋な悔い改めだったのでしょうか?それとも、単なる後悔だったのでしょうか?彼の苦悩の本質がなんであったのかを考えてみましょう。私は、後者ではないかと考えます。

②ユダの問題
というのも、ユダは、イエス様を裏切った他の弟子たちと同じように「罪を赦された罪人」として生きていく選択肢を選びませんでした。使徒パウロも「元教会の迫害者」として、しかし、キリストに赦された者として歩んでいました。つまり、使徒たちは、自分の努力で罪の償いをするのではなく、イエス様の赦しを信じ、「罪を赦された罪人」として、イエス様と共に歩んでいくことを選んだわけです。

そのような観点からすると、ユダは自殺という手段で自分の罪の償いをすること選んだわけです。その気持はとてもよく理解できます。しかし、他の弟子たちはそうしなかったのです。それは、イエス様の赦し、仲間からの赦しを信じたからです。以前にも触れましたが、もし、ユダが天国に行けなかったとしたら、それは彼の犯した罪(裏切り、自殺)に原因があるのではなく、彼がイエス・キリスト(その愛、恵み、赦し)を信じていなかったことに原因があるのです。ユダは救いを取り去られたのではなく、初めからイエス様への信仰(愛)がなかったということになるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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