デイリーディボーション 11月29日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 11月29日(水)

2017年11月29日(水)

【通読】
マタイの福音書 27:11-14
11さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。12しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。13そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」14それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。

【ポイント】
①イエス様の沈黙の意味
イザヤ書53章6-8節を見ると、イエス様の沈黙の意味が良く分かります。「6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。7彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。8しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」

使徒の働き8章で信仰熱心なエチオピアの宦官がピリポに説明を求めたのもこの箇所でした。そこで「ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
」(使徒8:35)のです。ここからも分かる通り、イエス様はこのイザヤの預言の成就のために沈黙を守られたのです。自分に対する不利な証言について反論するのではなく、預言の成就、そしてご自身の使命を全うするために、自らがイニシアチブを取り、ご自分の権威によって十字架へと突き進んでいかれたのです。

イエス様が十字架にかかったのは、ユダの裏切りのせいでも、十字架を求める群衆のせいでも、間違った判決を下したピラトのせいでもなく、天の父の御心、キリストご自身の御心によるのだということです。イエス様の沈黙の意味はそこにあるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info