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2021年11月30日(火)
マタイの福音書 14:1-10 1そのころ、国主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、2侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」3実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。4それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。5ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。6たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。7それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。8ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」9王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。10彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
【ポイント】 ①「自由」に対する勘違いに気づく 今日の個所からは、イエス様や弟子たちが生きていた時代・地域の統治の在り方を垣間見ることができます。ここには、私たちが享受している言論の自由も、信仰の自由も、人権もありません。国家の最高指導者であるローマ皇帝ではなく、領主として地域の統治を担っていたヘロデのような者でも、正式な裁判によらず、人の命をその日の気分で奪うことができたわけです。
現代のクリスチャンは、イエス様や弟子たちが暮らしていた地域・時代背景を無視して聖書を読んでいることはないでしょうか。多くのクリスチャンは、自分たちの思想・価値観に合わない国家、政治の在り方に不満を覚えます。ワクチン接種やマスク着用の義務化などに抵抗するクリスチャンもいるようです。しかし、イエス様の時代のクリスチャンが現代のクリスチャンの姿を見たら「それぐらいなんでもないでしょ!」「子どものわがままか?」と怒られるのではないでしょうか。なぜなら、当時のクリスチャンは、私たちの想像をはるかに越えた理不尽な社会の中で、イエス様の自由を味わいながら生きていたからです。キリストの自由とは、民衆(人間)の思い通りになることではないのです。イエス様が教えられた自由とは、極めて不自由な社会の中にある自由でもあるのです。
自分たちの自由が奪われることがこの世の終わりぐらいに感じているクリスチャンがいるかもしれません。民主主義国家に暮らす人は、だれもそのような時代を望んでいないと思いますが、実は自由が奪われる経験したほうが、イエス・キリストが与えられる自由の意味や価値をより深く理解できるのかもしれません。例えば、集会が禁じられたら、私たちクリスチャンが礼拝のために集まることができたことにどれほど大きな喜びを覚えるようになることでしょうか。私たちが「自由ボケ」していないか、今日の個所からしっかりと自分を振り返ってみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道