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2020年11月4日(水)
ヤコブの手紙 3:6-8 6舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。7どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。8しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
【ポイント】 ①舌を制御する 今日の個所は決して器官としての「舌」だけの話ではないことに注意が必要です。舌の問題は、思わず「本音」を口にしてしまうということです。つまり、制御するべきなのは、器官としての舌ではなく、その舌によって発話される「本音」なのです。思わず口にしてしまったことで人を傷つけたり、怒らせたりしてしまう失敗をしたことがない人のほうが少ないことでしょう。
この「本音」とは自分の心の正直な思いのことです。しかし、「自分の心の正直な思い」には「良いもの」も「悪いもの」も含まれていることに注意が必要です。そして、多くの場合「良いもの」を口にしたとしても、問題になることはありません。問題なのは「悪いもの」を口にしてしまった時です。例えば、ヤコブの手紙の中のテーマの一つである「差別」について考えてみましょう。私たちクリスチャンは「差別」が悪いことであることを知っています。しかし、それは自分の心の中に「差別」的な考えや感情がないことを意味しているわけではありません。ですから、私たちは心の中では常に両者が戦い(葛藤)をしているわけです。しかも、神様の御心である「差別をしないこと」よりも、そうではない「差別をすること」のほうが簡単で、本音がそちらに流される傾向があるのです。
よく「本音で語ろうよ!」とか「自分の心に正直になったほうがいいよ!」などという言葉を聞きますが、これは危険な誘惑なのです。それがいかに「本音」や「自分に正直」なものであったとしても、その考えが神様の御心に沿うものでなければ、私たちは、それを口にすることを止めなければならないのです。正確に言えば、そのような悪い考えを抱いている自分を戒める必要があるのです。それが、舌を制御することなのであり、極めて難しいことでもあるのです。
私たちはこの「戦い(葛藤)」を大切にしなければなりません。常に胸に手をあてて、何が神様の前で本当に正しいことなのかを吟味し、自分の心の思いに流されることなく、流れに逆らって進み続けることが求められているのです。
ライフチャーチ 大谷信道