デイリーディボーション 11月4日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 11月4日(月)

2019年11月4日(月)
コロサイ人への手紙  1:1-2 1神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、2コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
【ポイント】 ①単なる挨拶、社交辞令ではない。 今日からコロサイ人への手紙に入ります。ピリピ人への手紙で繰り返し学んだ内容は、この手紙を学ぶ際にも役に立ちます。まず、最初のポイントは「パウロは教会全体に手紙を書いた」ということです。「教会」というフレームを取り去ってしまうと、パウロの手紙の内容は「教理」「倫理」「実践」など、話があっちに行ったり、こっちに行ったりと、何か一貫性のない文章のように感じてしまうでしょう。しかし「教会」というフレームをきちんととらえると、それらすべてが一つにまとめられ、パウロの一切ぶれることのないメッセージを受け取ることができるのです。そもそも、パウロは暇つぶしで手紙を書いているわけでも、季節の挨拶のために手紙を書いているのではありません。各教会に重大な問題があったからこそ、「教会」宛てに手紙を書いたのです。この背景を絶対に忘れてはなりません。
ですから、今日の箇所も、一見するとありきたりな書き出しに見えますが、2節の「どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」ということばは、単なる挨拶でも、社交辞令でもなく、パウロの心からの祈りであり、パウロが手紙を送った目的でもあるのです。「恵み」とは、神様のあわれみや慈しみだけでなく、キリストの恵みの福音の上にしっかり立つことを示唆していますし、「平安」は律法の行ないによっては絶対に得ることができない、恵みによる救いを得た者だけが体験できる内的な平和を意味しています。反対に教会で教えられる福音が「恵みによる救い」から外れる時に、ユダヤ主義(律法主義)などの異端が入り込み、さばき合いが生まれ、教会の主にある一致が破壊され、一人ひとりの心、そして群れ全体の平安が奪い去られてしまうのです。
パウロが、コロサイ教会が主の恵みに立ち、教会全体が平安を味わうことができるために手紙を書き送ったことを常に意識しながら、手紙を読み進めていきましょう!
ライフチャーチ 大谷 信道


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