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2021年11月4日(木)
マタイの福音書 12:38-42 38そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」39しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。40ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。41ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。42南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
【ポイント】 ①姦淫の時代はしるしを求める 「宗教」に対して「しるし(奇跡)」を求める人が大勢います。「宗教」は「しるし(奇跡)」という人々のニーズに応えるために必死になります。残念ながらキリスト教においても全く同様の傾向を見ることができます。
現代のしるしは、様々なご利益、病気の癒し、預言、教祖の不思議な行いなどの科学的に説明ができない超常現象でしょう。自分自身で不思議な体験を目の当たりにしなければ、神様を信じられないと思うのが普通ですね。人間には不可能なことを行うことができなければ、誰であろうが、どのような神であろうが、人々が真剣に神として受け入れ、信じることはないでしょう。そのような人間のために、聖書の神様はイエス様を通して「しるし」を行ってくださいました。それは、言うまでもなく、イエス様の十字架の死と復活です。
ですから、「しるし」を求めること自体は、決して悪いことではありません。しかし、神様が与えられた「しるし」に人々が満足できない人がいます。そして、クリスチャンのなかにも、実際に自分の目で「しるし」を見なければ信じられない、確信を持つことができないと感じている人は少なくないのです。そのような人は、不思議なわざを見たり、体験できると感じられる教団、教派に惹かれてしまうのです。この傾向は20世紀後半から現代にかけてさらに強くなっていると思われます。
そのような人は、今日のイエス様のみことばを真摯に受け取る必要があります。「しるし」は、イエス様の復活の事実だけで十分なのです。
ライフチャーチ 大谷信道