デイリーディボーション 11月6日(水)

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デイリーディボーション 11月6日(水)

2019年11月6日(水)
コロサイ人への手紙  1:5-8 5それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。6この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。7これはあなたがたが私たちと同じしもべである愛するエパフラスから学んだとおりのものです。彼は私たちに代わって仕えている忠実な、キリストの仕え人であって、8私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。
【ポイント】 5節の「それら」とは何を指しているのでしょうか。それは、直前の4節にある「信仰と愛」です。昨日の学びで、この「信仰」とは、イエス・キリスト(天の父)への愛であり、「愛」とは「隣人愛」であることを学びました。ということは、5節の「福音の真理のことば」の中心は、神様を愛すること、隣人を愛することであることが分かります。
日曜日の礼拝でもこの点について学びましたね。例えば、「罪の赦し」「永遠の刑罰からの自由」「永遠のいのちの約束」「天国の約束」などは、決して福音の中心ではなく、福音の中心である「信仰」、つまり神の愛を受け取り、神を愛することによって与えられる副産物なのです。私たちにとって「良い知らせ」とは、決して天国の話だけでなく、神様があなたを愛しているというメッセージなのです。この一点が抜け落ちる時に「福音」は骨抜きになり、私たちの信仰はご利益宗教のそれと全く変わらないものに変質してしまうのです。
多くのクリスチャンは「自分は神様(イエス・キリスト)を愛している」と考えています。しかし、イエス様はヨハネ13章34節でこのように教えられています。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」さらに、14章21節では「21わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」つまり、「キリストを愛すること」と「互いに愛し合うこと」は絶対に切り離すことができないものなのです。
現在「福音主義」を標榜している教会は多数あります。しかし、今日の学びから考えると、本当の「福音主義音」とは聖書に記されている 「キリストを愛すること」「互いに愛し合うこと」という主の戒め、神のことばに全身全霊をもって取り組むことではないでしょうか。そうだったからこそ、6節の「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。」のというような現象が起きたのではないでしょうか。
「キリストを愛すること」と「互いに愛し合うこと」が福音宣教の最高、いや唯一の方法(戦略)であることは、今日の聖書個所から明らかなのです。私たちは、いかにイエス様の命令に不従順であるのか、いかに的外れな福音宣教をしているのかに気が付く必要があるのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷 信道


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