デイリーディボーション 12月11日(月)

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デイリーディボーション 12月11日(月)

2017年12月11日(月)

【通読】
マタイの福音書 28:1-7
1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。2すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。3その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。4番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。5すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。6ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。7ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

【ポイント】
①復活という啓示
神様はご自分の性質、意志、計画を預言者を通して伝えて来られました。これを「啓示」と呼びます。自然現象なども「啓示」の一部ですが、その解釈は人によって異なる可能性があるので、大切なことがらについては「ことば」を用いて語られて来ました。しかし、神様は最終的な「啓示」として、だれも勘違いしたり、勝手な解釈をしないように、神の独り子を人間の肉体をもった形で遣わされたのです(ヘブル1章)。ですから、ヨハネはイエス様を「ことば」と呼んでいるのです。「1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)、「1初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 」(1ヨハネ1:1)

さて、神のことばそのものであるイエス様の最終的な「啓示」は「復活」です。イエス様が本当に神の子であることを証明するためには、人類にとっての最大かつ最終的な問題である「死」を克服する力をもっていることを「ことば」と「行動」の両方で示す必要があったのです。神様はその最善の方法として、イエス様を死からよみがえらせるという「啓示」を選ばれたのです。それは、預言者に個人的に語るという従来の方法ではなく、多くの人が目撃者、つまり証人となり、後に議論の余地を残さないような啓示方法を選ばれたということです。

イエス様の十字架での死で聖書が終わっていたとしたらどうでしょうか。イエス様の復活の部分が抜け落ちてしまった状態で、イエス様が何者であるのか評価したとしたら、「イエスは異常者」という評価が妥当です。「確かに善い行い、奇跡と思われるような業も多数行ったが、神殿を3日で建て直すなどとの虚言も見受けられ、さらに死ぬ必要など全く無いのに勝手に十字架にかかり、弟子たちを置き去りにし、改革を途中で投げ出してしまった変人」というのが客観的な評価となるでしょう。

しかし、イエス様の復活により、イエス様のことばにも行動にも嘘、偽りは一切なく、語られたすべてのことを成就したことが証明されたのです。それ故に、私たちは「ナザレ出身のイエス」が本当に神の子であったと断定することができるのです。ですから、私たちは、安心して自分のいのちをイエス様に委ねることができるのです。今週も、このイエス・キリストを信頼して歩みましょう!

ライフチャーチ
大谷信道


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