デイリーディボーション 12月11日(火)

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デイリーディボーション 12月11日(火)

2018年12月11日(火)
コリント人への手紙 第2 8:3-6 3私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、4聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。5そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。6それで私たちは、テトスがすでにこの恵みのわざをあなたがたの間で始めていたのですから、それを完了させるよう彼に勧めたのです。
【ポイント】 ①パウロの教会にビジョンを理解する イスラエル以外に住んでいるユダヤ人は、毎年地域ごとに神殿税を集め、エルサレムに収めていました。神殿税の使われ方等について賛否はあると思いますが、ユダヤ人は、献金や各種の捧げ物とは別に、神殿の維持(ユダヤ教の維持)のために協力しお金を集めるという習慣を持っていました。
ですから、ユダヤ人のパウロにとっては、経済的に困窮しているエルサレム教会の活動を助けるために、各地の教会に援助を募ることはある意味当然のアイディアだったのでしょう。事実、マケドニア地方の教会はパウロのアイディアに賛同し、熱心に募金を集めていたことが分かります。
しかも、パウロの「まず自分自身を主にささげ」ということばから、マケドニア教会のメンバーが単なる経済的な援助ではなく、イエス・キリストの御国の拡大という大きな信仰的なビジョンに対しコミットしていたことが分かります。「自分たちに満たし」でも「エルサレム教会の満たし」でもなく、イエス様の計画の実現に対し献身していたということです。
私たちもこの計画に招き入れられていることを忘れてはなりません。私たちの教会の活動、奉仕などの全ては、自分のためでも、自分たちの教会のためでもなく、イエス様の計画の実現のための一部であり、一歩なのです。このビジョンにしっかりと立つときに、私たちの信仰の歩みは揺らされることがなくなるのです。
以前も「レンガ職人のたとえ話」をしたことがありますね。ある人がレンガ職人に「あなたは何をやっているのですか?」と聞いた所、その職人は「見りゃわかるだろ、来る日も来る日も、泥だらけになりながら土をこねて、いくらにもならないレンガを作り続けているだけだよ。」と愚痴っぽく答えました。また別に職人に同じ質問をしたところ、その職人は「私は神殿を立てているのです!」と誇らしげに答えました。ビジョンに有無によって、同じ仕事をしていても、人生にこれほどの違いが生まれるということなのです。
私たちは今日の箇所から、自分はどちらの生き方をしているのかが問われています。イエス様の計画の実現のために選ばれ、召されているというビジョンを持つときに、私たちの信仰の歩み、教会の歩みのすべてが有意義なものへと変えられるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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